HSPという言葉がひとりでに歩いていくような気がして。
HSPの認知度があがった
HSPがメディアにも取り上げられて大分有名になっているようだ。
自分で診断したところわたしもHSPに当てはまるのだが、自らHSPを名乗る人たちに違和感を覚えることも少なくない。もちろん発信はしてほしい。こうすると楽に生きることができるようになりますよという先人の知恵は、とても欲するものだからである。
HSPに関する情報も発信する人も増えた
発信の仕方にもいろいろとある。自分がHSPだと言ってこれが苦手、あれができない、そういう発信だけだと気が重くなってしまう。HSPの人はそんなこと自分でとっくの昔にわかっていて、知りたいのはどうやって長所にしてきたか、それを乗り越えるため、共存するためにどうやって工夫をしてきたかというところなのだ。もしくはわたしの気持ちに「わかるよ~」と寄り添ってもらいたいだけなのだ。
本当にHSP?!と思うような発信をしている人もいるのだけど、きっとHSP同士でも分かり合えないところってあるのだろう。だってHSPでもHSS型とか分類されるじゃない。強度か弱度かにもよるじゃない。
情報は取捨選択。「わたし」が生きやすいように
自分が生きやすいように生きるためのライフハックを模索しているというその目的だけは忘れないようにしている。さもないと情報の渦に飲み込まれる。それは本末転倒だから。見たくないものは見ないように。見えすぎる聞こえすぎる考えすぎるわたしたちにはその予防線が必要だ。誰かを助けたい?まず自分を助けてからにしよう。
大きなギフトでもあり、この混沌とした世界では生きづらさになってしまうこともあるけれど、繊細という気質には大きな希望がかかっている。お互いに助け合って「HSPが」だけではなくて「ありとあらゆる人が」生きやすい世界を目指していけたらいい。
(それが結局はわたしたちが生きやすい世界でもあるから。)
少しずつ少しずつ。
わたしも自らのライフハックをいくつか発信していきたいと思っている。
悩んでいる人の参考になればと思ってインターネットの海に流します。(いつか)
以上
本日も読んで下さりありがとうございました。