自分の考えを少しずつ変えていく。

とても久しぶりに文章を書いている。

そのことだけでなんだか泣きそうだ。

 

それというのもコロナが蔓延してから心身ともに不調が激しく、書きたい気持ちすら薄れていたからだ。だからまたこのように書く気になって、文章を書いていることがとても嬉しい。(*コロナ関連のことだけが、わたしの不調になっているわけではないと思うが大きな原因の1つ)

 

今日は最近ようやくちゃんと「休み」をとることが出来るようになった話をしたい。

 

わたしが「みんな」そうだと思っていたことの1つに、休むためには理由がいるということがある。無理して限界(と思われるところ)までやって、倒れるまでは休めなかった。休み方が分からないと言えばいいのだろうか。体に不調が出れば周りが休んでもいいと思ってくれるという極端な考え方。今でこそおかしいと思うけれども、学生時代は無意識のうちにそう思っていたし、社会人になってからは自分がそういう考え方を持っていることをはっきりと自覚していた。こういう考え方はHSPに多いらしい。(*みんなこうじゃないんだと知った時には驚いた。自分の中でまだ「みんな」と同じ考え方がいいと思っているところは、ちょっとどうかと思うけどね。)

 

今は不調が出る前に休むことを心掛けている。何もないのに休むことの何がしんどいかと言うと周りの目。わたしは心がしんどくても見た目は元気にふるまうことが多いので、普通に元気だと思われる。そう思われている状態で休みたいというと、元気なのになぜ?と相手が受け取るのではないかと思ってしまうのだ。

 

誰も相手の心の中までは分からない。だから自分のしんどさも分かってもらえない。(*今はそれが当たり前だと理解している)自分で自分のことを守らないと誰も守ってくれない。それがいやという程分かったので「どう思われようともしんどくなる前に休む」ことが出来るようになってきた。それに多分相手方も「なんでそんなになるまで1人で抱え込むの?」と思っているようだ。(*世の中には優しい人が多いということは分かっているけど、人を信じることって難しい。)

 

本当のところ、相手がわたしの行動に対してどう思っているかは分からない。でももはやそんなことはどうだっていい。自分のことを守っていくことが、わたしを大切にしてくれる人を大切にすることでもあると分かったから。

 

有難いことに仕事などでかかわる人たちも、気にしないでいいよと言ってくれる。ただそう言われても、わたしは細かく人のことを疑いがちだ。本当にそう思ってるのかな?とまで思う。でも人のことを信じていく道のほうが、幸せになる近道であり人間として選択したい道ではあるので少しずつ自分の考え方を矯正している。

 

休むことひとつとっても、結構ハードルが高いのだ。

 

30歳近くなってきても、こんなことで悩んでるんだ…と頭を抱えたくなる時もあるけれど、わたしのペースでゆっくり生きやすく生きていこうと思う。「誰にとっても」ではなくて、「わたしにとって」平和で穏やかな日々を送っていきたい。