天気の子を見てきた。後半涙が止まらなかった。~三富の感想文~

今話題作の天気の子を見てきたので感想。ネタバレなしには書くことが出来なかったので、まだ見てない方は見てから読んでくださいね。

 

RADWINPSは普通に好きで、君の名は。がとてもよかったから、機会があれば見に行こうくらいの気持ちで見に行ってきた。新海さんの作る作品は映像がとても綺麗なのは言わずもがなだから、もし期待外れでもそれだけ見られればいいかと思っていたくらいで結構期待値は低めだったのかもしれない。結論を言ってしまえばトータルでめちゃくちゃ良かった。

 

映像は期待通りの美しさだった。新宿は都内でもよく行く場所。よく知っている場所は現実世界そのままに描かれていた。そして透明感がすごい。満足。プリキュアのコスプレで出てくる人がいたり、ワイプにマツコさんらしき人が映っていたり、細かいところで「あっ」って思わされるのがとても好き。

 

一方でストーリーはよくわからなかった。いや、何が起こっているのかは理解しているけど、現実世界では家出少年はすぐにつかまるし、たかってきた大人が後で雇ってくれるなんて奇跡起きないじゃないか、普通。まあ、ストーリーを円滑に進めるためなんだろうけど、そのご都合主義が気になって、前半はいまいちストーリーに入り込めなかった。

 

君の名は。』の2人の体が入れ替わるというシチュエーションはすんなりと受け入れられたのに。不思議だ。(ちなみに、どちらも前情報一切なしで見た。)銃を拾って、スカウトマンにぶっ放すシーンもどういうことなんだ、何に繋がるのか、分からないかった。ちょっと深読みしたくなりがちなわたしには、意味のつながらない(ようにみえた)シーンたちに結構な戸惑いを覚えていた。

 

そうはいえども、帆高をはじめとする人々の運命の先を見たいと思ってしまう。あなた達は一体この先どうなるんだ。100%の晴れ女が見つかって、晴れてほしいと祈ることでお天気になっていくこの話はどこに行きつくんだろうか。

 

天気を変えるということはその分代償があるんだよと、夏美と帆高が話を聞きにいった占い師が言っていたように、晴れ女の陽菜はどんどん体が透き通っていき、とうとう空にとらわれてしまった。最初はお母さんのために、空が晴れますようにと祈っただけだったのに。

 

陽菜は自分の力を使って晴れにすることで、誰かに必要とされている存在なんだと思うことが出来ていた。でもその力は永遠に続くものではなく、自分のことを犠牲にする運命と引き換えにしなくてはいけないものだった。それを受け入れようとする陽菜に帆高は「陽菜さんがいい」という。「生きてほしい」という。そうやってありのままの自分を受け入れてくれる人がいることは、その人にとって生きる力になっていく。本当は戻りたいと思っていた気持ちを肯定してくれる人がいたから、陽菜は自分のために祈って、とんで空から抜け出せた。

 

わたしは空に陽菜がとらわれてしまって帆高が助けに行くまでのシーンがとても好きだ。そしてそれは同時に前半のシーンがあった意味が見いだせたところでもある。

 

追ってきた警官と須賀さんに銃口を向けて何も知らないくせに!放っておいてくれよ!と帆高が叫んだ時に、涙が止まらなくなってしまった。帆高がどういう思いで過ごしてきた日々だったのか、須賀さん、夏美さんはもちろん、陽菜や凪と重ねてきた日々を見ていた「わたしたち」にとって、その時帆高が選んだ行動はまさしく正しい行動だったからだ。

 

それはきっと映画を見ていた時間の思いもそうだし、わたしが今まで生きてきた思いも重なっているのだと思う。わかるよ、帆高。だれも分かってくれないじゃないか、何も知らないくせに批判ばっかりしてよって思うよね。警察から逃げ出して、人に銃を向けるなんて行動は、世間的にはもちろんおかしなことだとは、わたしだって理解している。でも他人にとっては不正解で奇怪で理解しがたいことも、当人にとってはまったくもっておかしなことではなくて、正解で至極真っ当なことなのだ。

 

繰り返すが、最初からみてたわたしにとっては帆高の行動は正解だった。だからどうか誰も邪魔するな、手を出さないで、帆高の好きにやらせてあげて、と同じくらいの強い波動を出して祈っていた。

 

帆高じゃない側から見れば、「お前、何やってんの?」となる行動だ。線路の上を走っていた時も「あいつ馬鹿じゃね」「ああいうやついるよね」と見上げていた人たちが話していた。帆高のことを何も知らないであの場にいたら、その言葉たちに表れている気持ちにわたしもなっていたと思う。 理解できないし、世間的にみて間違ってて、何やっているのか、と。

 

そんな周りの言葉を気にしないでわき目ふらずに突き進むことなんて、本当に大切なものを守るためにしか出来ない。ただ、歳を重ねるにつれてそれすらも難しくなっていくことも事実だ。何を大切に思うかはその人によって違うけれども、守りたいものはどんどん増えてどれを一番大切にしていけばいいのか、迷うし選ぶことがだんだんと怖くなっていく。そして本当は違う選択肢を取りたかったとしても、どっちも選ぶという挑戦をしたかったとしても、無難と呼ばれる選択をしてしまうようになる。

 

でも帆高は大切なものを大切にするというその心に正直にしたがって、未知のものに立ち向かっていった。愛にできることはまだあるかい。愛に出来ることはたくさんあるよ。でもそれを軸に動けるかどうかは、その人次第なんだ。

 

何者かにならなくても大丈夫だよ、僕が陽菜さんを認めていて、好きでいるから、そのままでいてほしいし、生きていてほしいという帆高の思いは、本来ならばそこで死ぬはずだった運命を大きく変えていった。変わった運命は多くの人にとって災害とよべるものだったけれども、その運命を1人の少女に担わせる選択肢は選ばなくてよかったとわたしはそう思う。

 

「誰か」にとっては関係のない人でも、その「誰か」はまた違う「誰か」にとっては大切で必要な存在なのだ。わたし達は本当に自分勝手だ。東京が水に沈んだら、全然知らない人が人柱になればいいなんて言ってのけて、その人柱は「わたしたち」が晴れ女と崇めたてていたあの女の子なんだよ。でもきっと関係ないんだろうな、そんなこと。うまくいけば褒めたたえて、そうならなければけなして、責任とれよって罵る。そんな自己中な世界の中で、自分を貫くというのはひとつ筋が通ったことなのかもしれない。

 

わたし達は目に見えているものを大切にしすぎて、目に映らないものをあまりにも大切にしない。帆高と陽菜は、こういう運命を選んだ責任は負っていくのだろうけど、最初から課されていた責任を果たしたことに誇りをもって、選んだ選択肢に責任をもって、ここで生きていくと決意したならば、「大丈夫」だ。何を選んだとしても、それを選んだことは誰にも否定できるものではない。思っていた以上に大きな代償を払ったとしても、それとともに生きていく決意があれば、大丈夫なのだろう。

 

世界の形はたしかに帆高と陽菜が変えた。だけどそれが「わたしたち」にとって本当の不幸かは分からないし、おばあちゃんのいうようにただもとに戻っただけなのかもしれない。世界はもとから狂ってると須賀さんが言っていた。本当にただ、もとに戻っただけなのかもしれない。

 

劇中の挿入歌にも何度も泣かされたけれど、わたしが号泣してしまったのはエンドロールで「愛にできることはまだあるかい」がfullで流れた時だった。歌詞の意味が映画と相まって身に沁みて入ってきたからだ。RAD×新海監督という組み合わせが最高なんだと噛み締めて思った。

 

諦めた者と 賢い者だけが

勝者の時代に どこで息を吸う

(略)

勇気や希望や 絆とかの魔法

使い道もなく オトナは眼を背ける

(略)

愛にできることはまだあるかい

僕にできることは まだあるかい

 

君がくれた勇気だから 君のために使いたいんだ

君と分け合った愛だから 君とじゃないと意味がないんだ

(愛にできることはまだあるかい/RADWINPS)

 

そうやって映画で伝えたかった(であろう)メッセージが、映画を飛び出して自分の経験に入り込んでくる。

 

わたしはきっと、選んできたものたちを自分で肯定してあげたくて、先が見えない今を一生懸命生きてることを肯定してあげたいのだと思う。(思うし、そうしてきた。でもその行為自体を誰かに肯定してもらいたかったのかもしれない。)選んだ責任は負う覚悟くらいあるよ。だからわたしはこの人生を正しいと思う方向に振り切って生きていく。適当にやってうまく生きてる人たちがいて、どうしてなんだと落ち込んだりするときもある。でもそういう思いなんか持たなくていいよ、あなたが選んだ道を堂々と生きていけと肯定してくれているような気がして、まっすぐ生きていくことを肯定してくれているような気がした。それがこの映画に、この歌詞に目一杯つまっている。

 

わたしにとっての天気の子はそういうメッセージ性を持っていた。

 

君の名は。とどっちが良かった?って聞かれるけど、比べる必要はないと思う。個人的にはストーリーは君の名は。のほうが好き。でも楽曲は天気の子のほうが断然好み。メッセージ性はどっちも強くて好き。映像はどっちも綺麗。両方とももう一度見たいと思った。本当にRADの曲が流石としか言いようがない。当たり前なのだけど、ストーリー+曲で作品。ストーリーがあるから曲がより引き立って、曲があるから、ストーリーにより深みが増す。良すぎる。映画後半はずっと泣いていた。歌詞がずしんと沁みこんでくるから。

 

何もない僕たちに なぜ夢を見させたか

終わりある人生に なぜ希望を持たせたか

 

なぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか

それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい

それとも、きれいかい

 

答えてよ

 

愛の歌も 歌われつくした 数多くの映画で 語られつくした

そんな荒野に 生まれ落ちた僕、君 それでも

 

愛にできることはまだあるよ

僕にできることはまだあるよ

(愛にできることはまだあるかい/RADWINPS)

 

なぜだかわからないままに生まれてその瞬間に死に向かってスタートしているわたしたちが生きる人生で、夢をみて希望をもつことができるのは、根底に愛が流れているのだと強く思う。愛のある世界に生まれて良かった。

 

わたしも大丈夫だ。あなたからもらった勇気だから、わたしもあなたのために使いたい。

 

あの2人のこの先がどうなるかなんてわからないし、須賀さんも夏美も本当に大丈夫かなんてわからないけれども、それでも選んだ今を一生懸命生きているというのが見られただけでいい。だって大丈夫なのだ、進み行くと決めたのだから。

 

今日も読んでくださりありがとうございました。