エモい感情~合唱曲『春に』を元に考察してみた~
エモさが体をめぐりにめぐって爆発するときがある。この感覚は、感動とニアリーイコール。この「どうしようもない気持ち」をどうにか発散したくてこの文章を書いている。
今まではスルーしてきた。でもこの文を書こうと思ったきっかけは、Official 髭男 dismのDVDを見たからだ。彼らのパフォーマンスが終わった時、やっぱり得体の知れない思いにとらわれて苦しくなった。素晴らしいライブだったし、生で聞きたかったと思いながら画面を閉じた。こうやって良い芸術作品に触れた時だったり、思い出に触れた時に胸がぎゅっと締め付けられて苦しくなって、得体のしれない思いにとらわれる。でも、その思いをきちんと文章に書いてみようと思ったのは今日が初めてだ。
こいつはなんなんだろうか。
「この気持ちはなん~だろ~う♪」(よく合唱コンクールで歌われる『春に』/作詞:谷川俊太郎)と歌いたくなる。
いや、よくよくあの歌詞を噛みしめてみるとほんとうにこれなのだ。
僕の腹へ胸へそしてのどへ
声にならない叫びとなってこみ上げる
この気持ちは何だろう
(中略)
喜びだしかし悲しみでもある
苛立ちだしかも安らぎがある
憧れだそして怒りが隠れている
心のダムに堰き止められ
よどみ渦巻きせめぎ合い
今あふれようとする
(春に/作詞:谷川俊太郎)
ふうむ。素晴らしい歌詞だ。
切なさ、ノスタルジック、羨望、嫉妬、悔しさ、希望、幸福、苦しみ
そういったものが一気に押し寄せてくる。逃れられない。こみ上げてくる。逃げ出したい。だって苦しいから。どうしようもないから。でもそれはわたし自身も何かを創作したいと、生み出したいという衝動につながっていく。エネルギーになっていく。だからこうやって文章が書ける。
得体の知れない思いは感情の渦で、エネルギー源で、大切にしていいもの。切なさと懐かしさに押しつぶされそうになるときもあるけど、感じたものに蓋をする必要はない。止めてはいけないのだろう。
最後『春に』の中の僕は歩き続けたい気持ちと草の上でじっとしていたい気持ちとのはざまで揺れている。きっと次の瞬間には、心の赴くままに行動するのだろうと思う。この僕の心に中学生の時は寄り添えなかった。今なら寄り添える、分かるよと言ってあげられる。もしかしたらわたしも隣で次の瞬間どうなっているか分からない。
わたしのエモさの語りはこれくらいにしておこう。そうそう、どうやらまたハモネプが放送されるみたいだ。ハモネプは高校生の時によく見ていてとってもハマっていたし、わたしの中では青春だった。ああ、またエモいって思うんだろうなあ。またその時はそのときで何かしら表現して、つくることへのエネルギーに変えていこう。
今日も読んでくださりありがとうございました。