ハートシグナル2の感想【雑談】【ネタバレばりばり】

なんだか、ハートシグナルについて書いた記事がよく読まれているようなんだけど、あの記事たぶんみんなが欲してる情報ではないような気がするし、なんなら後半はわたしの意欲だけを書き綴った気もするので、今回はハートシグナルを見ての感想をひたすら共有出来たらな、と思う。ハートシグナルがどんな内容だった、とか詳しく書くわけではなくて、こういうシーン良かったよね、わたしここ好きなんだけど、とかそういった話を書きたい。まーた求められてるのとは違うかもしれないけど、わたしはそれが見たくて、誰かと共有したくてぐぐってたんだよね。でも特になんかこう感想に特化したものってなくてだいたい出演者の情報だったから、んーって思ってたんだ。

 

で、ハートシグナル、ハートシグナルって言ってるけどわたしだんとつでハートシグナル2のほうが好きだから、2の話するね。完全にネタバレ含みます。うんうんそれ分かる、とか、えーわたしはこうだった、とか思いながら読んでくれればそれが一番うれしい。というか語り合いたいですね、ってなる。

 

1番最初は、もちろんみんなのアイドルヒョンジュがすごく好きで、ヨンジュとダウンがつるんでいじわるしないでね...なあんて思いながら見てた。ドギュンとヒョヌも好きで、ヒョンジュが2人いればいいのに、みんな幸せになってくれ~って感じだったみたい。全然覚えてないんだけど(笑)メモってたのにそう書いてあった。

 

AbemaTVでちゃあんとリアルタイムで追っかけてたから、めちゃくちゃ長い時間かけて見てたの。次の回をみるのがとてつもなく楽しみで、その前までに2、3回はその週に放送された回のを見てたかな。だからどんどん最初のほう忘れちゃってる笑笑のは許してほしい。いつ頃からかなあ、ヨンジュが大好きになって、それはなんでかっていうといろーんなところにしっかりと気を遣える人だと分かったから。あと言葉をきちんと選んでいるところが本当に好き。ただ、なんでヒョヌがヨンジュを好きってアピールしてるのに気がつかないで悩んでたのかなあって思う。めちゃくちゃあなたにシグナルだしてましたよ?!?って。

 

ヨンジュとヒョヌの関係を見てて思ったことは、言わなきゃわからないことばかりだということ、言っても分かり合えないことも多いってこと。改めてだけど、テレパシーなんか伝わらないし、好きっていう意味で伝えても、そうは伝わらないこともあるし、好きだからこそ疑っちゃうこともあるってこと。相手のことが気になって気になって仕方がなくて、1つひとつの言動に喜んで、泣いて落ち込んで。でもそうやってお互いを受け止められるように歩み寄ることで、関係性って成り立っていくんだよね。

 

あとね~、わたしはジャンミもとっても好きなの。ヨンジュと同じくらい。ドギュンのこと本当に好きなんだなって思うし、可愛いし、センス抜群だし。ドギュンの前での女の子感は本当にかわいくて発狂しちゃいそうなほどだった。仕事ばりばり出来るのに。なんというか、タイミングが難しかったね。もしかしたら初めからいればドギュンがジャンミを選んでいたかもしれないし、わたしからみればドギュンとジャンミはお似合いだった。

 

あ、このバラエティ、本当に気をつけていないと「わたし」が目の前で展開されている物語にはいりこみすぎて、自分の思い通りにいかないと、え?って思うことも多いと思うの。後半戦になればなるほど、スタジオからもあまり感情移入しすぎないように、彼らがどの人を好きになるのかは個人の自由、傷つけるようなことを言わないで、みたいなことを注意されるようになってたし。わたしも個人的にはこの人とこの人がくっついてくれたらうれしいなとは思ってたけど、野次馬が勝手に騒ぐのはよくないことよね、とも思っていた。恋愛バラエティだから。「わたし」が主人公じゃないから。出演してる8人が主人公だから。そこ何度も確認してみたほうがいい。過熱しすぎて人を批判することになるなんて嫌だからね。楽しくみて幸せを分けてもらったほうがいいし、人を好きになる苦しみを共有したらいい。誰か、の人生をちょっと覗かせてもらって感情を共有できるってそれだけで素敵なことじゃないですか。ちょっと検索エンジンかけただけだからなにも確かなこと言えないのだけど、ヒョヌは今どう過ごしているのだろう。落ち着いて過ごせてるかな。最後究極の決断だったんだと思う、きっと、彼の中で。推測しかできないけど。わたしはてっきりヨンジュを選ぶものだと思ってたけど、最後まで煮え切らない態度だったから、もーどっちなんよ笑笑笑、とはなった。選ぶ、って大変じゃない?どっちも自分のことたぶん好きでいてくれて、どっちも一緒にいて楽しくて。ヒョンジュとは途中だいぶ気まずくなっちゃってたけど、最後のデートが決め手でしたね。誤解を解くのって大切と思った。あとちゃんと話すこと。話すのって大変だし、思ってることの半分も伝わらないときあるし、話してもえ?ってなることもあるし、いやいやこんなんこの距離感ならわかっててよって思うこともある。でも伝わらないのよ、そもそも言わなければ。(ってヨンジュとの関係でも思ってたけど)わたしもどっちかっていうとテレパシーでよろしく頼むよ派だから、ちゃんとストレートに伝えたいと思った。

 

まあ、その正反対のジェホだよね。彼はどストレート。ダウンが好きって思ったら一直線に有無も言わさず突き進んでたし。このカップルだけは安心してみてたよ、というかもう完全にくっつくでしょうよって思って飛ばしてたところあるよごめんだよ。でもハートシグナルの時を思い出してほしい。きっとくっつくだろうと思っていたけど裏切られたことを。びっくりしちゃったの。え?っと思って。もう!好きって!言ってたやん!なんで!ここで!もうちょっと!わたしに!心の!準備を!させてよ!って心から思ったんだけど、ちゃんとシグナルだしてたみたい。でも結果そこから長続きさせるならそうよねとは思いました。わたしが間違ってたごめんなさい。ってまたちょっと検索エンジンかけたらなんか色々でてきて(・。・)って顔になってるよ、え、なんだい。だから絶対的に安定なカップルみてると安心するんだよね。人の心は移ろいやすいので何とも言えませんが、純粋に根本ではずっと1人の人を思っていたであろう方々は好感しかないです。ダウンジェホおめでとう。好き。

 

ギュビンも真っすぐだったんだよね~。実らない恋だってことはもう百も承知だったんだろうけど、最後まで戦い抜いて、さらにあの一言ですよ。「僕のほうにきて、ヨンジュ」そしてそのあとにも「この言葉を覚えておいて」ってヨンジュにこの言葉を思い出させるシーンは破壊的に胸キュンでした。ありがとうギュビン。ハングルで言うと、내게 와 영주.だと思うんですけどたぶんもしかしたら와が間違ってるかもしれん。ネゲワ、ヨンジュってこの音!最高ですね。ギュビン氏のインスタのコメント欄に내게 와 규빈.ってあってセンスの塊だと思いました。わたしもこの言葉が誰の言葉よりも一番印象的だった。色々と名言あったけども。この短いフレーズでこんな破壊力あるなんてびっくりでしょ。わたしも好きな人に直接好きと言えないときは、こちらの言葉お借りしようと思います。ギュビンはちょくちょくお花買ってたりしてわたしの心臓を鷲掴みにしていった人です。どうぞギュビンに幸あれ。笑。

 

後ですね、言葉、といえばドギュンが詩を暗記したりしてましたね。すごく素敵でした。あんなことされたら死ぬやんって思ってみてました。すごい。努力がすごいし、暗記できちゃうのもすごい。もともと韓国では詩が身近なものなのかな?日本では詩はそんなに身近じゃないからあんなことする人いなさそうだけど。韓ドラトッケビ内でも詩集出てて、ちょっと話題になってた気がする。わたしも買おうかと思ったもん。ハングル読むの遅いし、まだトッケビ見てない←!のでまだ買っていませんが。本自体もとてもおしゃれ。わたしはフォントが好きなのですが、韓国の本は色々な字体があって可愛いなとおもうしそもそもハングル文字って可愛いんだよなあ。いずれはドギュンがもってた詩集も買いたいものです。あれ、そういえばドギュン、ヒョンジュ、ギュビン、ヨンジュ?だったかなで行ったデート場所はどこだったっけ。すごくかわいかったから行きたいなあと思っていたの。あれ?このメンバーだったっけか?!?!笑もう一度ちゃんと見て今度はどこに行ったかをちゃんとメモしておかないと~。

 

なんだかつらつらと書き連ねていたらこんなに雑多になってしまいました。わたしとおしゃべりしてる感覚で読んでもらえたら嬉しいです。完全にハートシグナル愛で語ってしまった。

 

出演者の方々のインスタもかなり頻繁に更新されてますよ^^(わたしもばっちり追ってます笑)

 

本日も読んでくださりありがとうございました。

現実逃避がしたい理由。

どうもガラスのハートらしい。

こんばんは、三富です。今日も思いのままに書き綴ろうと思います。今週はなんだか元気が出なくて、試行錯誤していたのですが、なんだかうまくいきません。まあ、そんなときもあるのです。そしてそういう時は必ず、現実逃避をしたくなります。

 

一時Twitterかなんかで内向的、外向的という性質が話題にのぼっていましたが、そのあとにHSP(敏感すぎる気質)というものが話題に(?)なったんですね。(わたしがそういう方向にアンテナをはっていたから、キャッチしただけかもしれません。)わたしの気質的には内向的で、あ~わたし内向的だわ、と理解していたのですが、HSPというものに出会ってからは、これもわたしの中にある気質なのね、と理解しています。

 

今回はHSPの話は省略しますね。あとでブログ記事書くかもしれませんが。一言でいえば、敏感すぎる人、ということです。つまりはガラスのハートです。HSPについては、本も多く出版されているので、気になる方は手に取ってもらったらよいと思います。またチェック項目はネットにも載っています。ちなみにわたしのおすすめの本は、『敏感すぎる自分が幸福いっぱいに変わる生き方』/保坂 隆です。

 

ガラスのハートを保つのは大変。

 

たぶんHSPじゃない人にはこの気持ち分からないと思います。でもそれは当たり前です。だって自分とは違うんだもの。それはみんなそうじゃないですか。ただ、それをわかろうとすることは出来るし、そういう気質の人がいるのね、まじかよ、へーっていう認知があるだけで、ちょっと違うと思うんです。それとね、ネットの海に文章流しておいたら、誰か見つけてくれてほっとするかもしれないでしょう。だから今日は書いてます。

 

1日の中で気にかかることがあると、体の左側がずん、と重くなります。例えば仲良い人と話している時。いつもと表情が違ったり仕草が違ったりすると、すぐ不安になります。いまの嫌だったかな、と一人反省会がその時点から始まり、それが体の左側の違和感につながります。更にそれをすっきりさせるまで時間がかかります。わたしは、もやもやをかきだす、という方法で自分を保っていますが、人によってこの消化の仕方は違うんじゃないかな。しかし、仲良い人と話していてもこうなるのですから、まだ仲良くなってない人と話した後はなおさら心配が増えます。

 

たぶん、相手は何も思ってないのです。毎回確認するわけじゃないからわからないけれども。でも自分がされても何も思わないようなことだと分かっていても、気になってしまいどうしようもなくなります。これを誰かに言いたくて、でも特に誰も分かってくれないので、自分でどうにかするしかない領域だと思っています。

 

だから現実逃避をしたくなるのです。気にしないように、忘れられるように。自分の心を守るために。たぶん、わからない人にはわからないと思います。何言っちゃってんのよ、あんた。と思われても仕方のないことだと思います。理解してほしいけど、難しいことも分かっています。

 

Youtubeに逃げ、ドラマに逃げ、映画に逃げ、読書に逃げ。自分の現実をしっかりと見つめたくないから、耐えられないから、逃げることも多いです。大変ですね。

 

うまく付き合っていこうと思っていますし、この気質は長所にできればとても強みになるので強みに出来るよう努力はしてます。でも相変わらず現実逃避したくなることも多いです。ただ、わたしは言いたい。この逃げも次前に進むための逃げであるってことを。現実逃避をし続けるのはやめようと思いますが、したい、と思う心を押さえつけることもしないでおこう、と思います。

 

どちらにせよ、わたしはこの体を持ってこの世界を生きなければならないし、そうだとするならばぜひ前向きに生きたいと思っています。

 

今日も不安なことがたくさんありました。家で夜後悔しはじめるととまらないのです。ごめん、と思うし自分のことが本当に嫌になります。きっとどの選択をしても後悔するときは後悔するし、まったく気にならないときもあるから難しいものです。あーでもないこーでもないと何回も思いを巡らせています。過ぎ去っちゃったことはよくわかっているのに。

 

しかし、今日この記事を書いて誰かが読んで、ほーそうかこういう人もいるのか、って思ってくれればいいし、共感してくれれば嬉しいし、誰かがこれを読んでほっとしてくれたとしたならば、猶更嬉しいですね。それに書き綴ることで落ち着いてきました。

 

大丈夫、大丈夫、という言葉がわたしはずっと好きなのですが、好きな理由としては、人という字が2つ、人に似ている字が1つはいってるので、人がたくさん支えてくれてるよ、と思えるからです。人と関わると色々思うこともあるけど、でも人にわたしは支えられていることも事実です。

 

平常心でいるのは大変ですが、わたしはこの気質とバディを組んでこの現実を必死に、真っすぐに生きていきたいです。

 

うん。

 

大丈夫。

 

本日も読んでくださりありがとうございました。

読書記録◎豆の上で眠る/湊かなえ

あらすじ

結衣子には本が大好きな万祐子ちゃん、というお姉ちゃんがいた。万祐子ちゃんは結衣子にたくさんの物語を読んでくれるお姉ちゃん。『えんどうまめの上にねたおひめさま』を真似してお父さんとお母さんの羽毛布団を使って実験したこともあった。そうやってよく万祐子ちゃんと結衣子は一緒に遊んでいた。近所の神社で、子どもたちが秘密基地を作ることにはまっていたあの夏。結衣子も例にもれず秘密基地をつくっていて、万祐子ちゃんも手伝ってくれた時があった。友達がうらやましがる立派な秘密基地が出来上がったその日、少し体の弱かった万祐子ちゃんは、疲れてしまったため遊び足りない結衣子をおいて先に家に帰ることにした。その帰り道、なにかがおきて万祐子ちゃんは2年間結衣子のもとから、家族のもとから姿を消すことになる。

 

万祐子ちゃんがいない2年間、親は必死になって万祐子ちゃんの行方を捜していた。いなくなった娘をさがすために、母親は猫と結衣子を使って近所をくまなく捜索させようとする。結衣子はうすうすそれに気づいていたけれども、母親を悲しませないために、そしてあのお姉ちゃん万祐子ちゃんを探すために気がついていないふりをして、嫌々ながらも猫探しを続ける。万祐子ちゃんが連れ去られたと思われるスーパーでの張り込みまでする母親。万祐子ちゃんがいなくなって悲しいと思う気持ちと、辛い思いをしているだろう両親を思うとどうしようもなくなる子ども心をもつ結衣子。両親も結衣子も色々な思いを抱えて、周りの人からの冷めた目で見られる日々に耐えていた時、万祐子ちゃんは急に帰ってきた。

 

万祐子ちゃんの顔は結衣子の記憶とは少し違っていた。しかし、そのことについては2年の時が経ったから、ですまされてしまう。あの時の、楽しかったころのあの時の万祐子ちゃんの雰囲気とは違うものを感じる結衣子。その違和感はずっとぬぐうことができなくて、あの時の万祐子ちゃんしか知らない質問をいくつもすることで結衣子は万祐子ちゃんが本物かということを確かめようとしていた。なんだか違う人なのに万祐子ちゃんは万祐子ちゃんと結衣子しか知らないことをきちんと答えてくる。タイムラグはあったりするけれどもすべてを的確に。

 

大学生になった結衣子。地元に戻ってきて駅で8ヶ月ぶりにお姉ちゃんの万祐子を見かける。でもなんだかおかしい。記憶の中にある万祐子ちゃんの顔の傷跡をもつ女性が隣に立っているからだ。でもあれは万祐子ちゃんではない。万祐子ちゃんはこっちだ、じゃああなたは誰ですか、万祐子ちゃんじゃないんですか。言葉にはならなくて、結衣子の視界は真っ暗になる。

 

果たして万祐子ちゃん誘拐事件の真相は。一体何が真実なのか。そして人は真実を知った時にそれを知ってよかったと思うのか、知らなかったほうがよかったと思うのか。

 

以下わたしの感想、ネタバレあり。

どうして雰囲気が変わってしまったのか、本当は別人なのではないか、万祐子ちゃんが帰ってきてから疑っては否定することを繰り返していた結衣子。試しても試してもボロは出てこない。でも目の前にいる「万祐子ちゃん」は、昔あれだけ結衣子が大好きだった万祐子ちゃんとは違う気がして、どうしても疑ってしまう。一番下に豆ひとつぶをおいて、その上に布団を何枚もひいてふかふかにして寝ても豆粒が気になってしまうお姫様のように、どれだけ万祐子ちゃんと結衣子だけが知ってることを聞いて試してもなんだかひっかかってしまう。人の勘といえばいいのか、第六感といえばいいのか、違和感が続いていたのだ。どれだけ昔のことであったとしても、そして一緒にいた時間がそこまで長くなかったとしても、大切に思っていた相手のことは忘れない。顔が記憶とちがうことは時間が経ったということでごまかせるかもしれないが、醸し出す雰囲気、語句のチョイス、仕草、そういった人から滲み出るものは、なかなかごまかしがきかないと思う。しかも大好きだったお姉ちゃん。そう簡単には納得いかない結衣子の気持ちに寄り添いながら読み進めてしまう。

 

ブランカをだしにして、万祐子ちゃんを探していたお母さん。子どもならば、親が心配していることをなんとかしたい、と思うのは当たり前。というかそうなってしまうものなのではないかと思う。それがたとえ間違ってることではないか、とか意味のないことではないか、ということも全て分かった上でそれでも親がこうだから、その通りにする。多かれ少なかれ、誰しも思い当たる節があるだろう。また、親の期待に添いたいというのも当たり前である。 結衣子も間違ってる、恥ずかしいとは思いながらも、母親の気持ちを思うと裏切れなくて、そしてまた期待に応えたくて、猫を探しているフリをしながらお姉ちゃんを探していた。

 

それでも湧いてくるどうしようも出来ないもどかしい思い。万祐子ちゃんに戻ってきてほしくてお母さんのいう通りにしてるけれども、心から出てくる、コレジャナイ感。間違ってるという思い。そういった思いに阻まれながらも変わらずお母さんのいう通りに行動してしまう自分がいるということ。この気持ちが痛いほど伝わってくる。そして、子どもにとって親の存在は言わば絶対である。そこから抜け出すことはとても難しい。 結衣子はお姉ちゃんを探す、という目的だから、と正当化する思いでなんとかそのもどかしい思いをカバーしていたのではないだろうか。

 

そうやってなんやかんやある中で唐突に万祐子ちゃんは帰ってきた。そして誘拐した、と犯人が自主してきた。よかったね、あのもどかしい思いも報われるね、仲良く過ごしました、ちゃんちゃん、ならまだ結衣子は救われたと思う。その出来事を忘れることができるくらい万祐子ちゃんと思い出が作れたし、大人になった時に親とそんなこともあったよね、と冷静に話すことができると思うのだ。そしたらその時はつらいことであったとしても忘れることができるし、記憶をいいように塗り替えることもできる。自分の都合のいいように解釈することだってできる。いくらでも救いはあるのだ。

 

ただ、帰ってきた万祐子ちゃんは、結衣子にとって別人だった。そしてずーっと抱いていたその結衣子の勘は正しくて、大学生になった時に本当のことを知る。結局もともといた万祐子ちゃんは、帰ってきた「万祐子ちゃん」とは違う人だった。けれども血のつながりとしては、帰ってきた「万祐子ちゃん」がお姉ちゃんだったのだ。

 

問題はこのことをみんなが知っていたということ。みんな、というのは結衣子を除いたメンバーだ。お父さんも、お母さんも。わたしがこのラストを読んだとき、結衣子の心情に寄り添いすぎていて、「最後まで隠し通せ。出来ないんだったらこういう形で分かるのではなくて、きちんと話しておけ。」と怒りに震えた。結衣子の気持ちを誰も考えていない。結衣子が子どもだったから真実を伏せたのだろうが、その考え方はあまりにも浅はかだったという他はない。結衣子はお姉ちゃんが大好きだったのだ。結衣子は両親の気持ちにも気づいていて、だからこそお母さんのおかしな言い分も聞いてわかっていないフリまでして、万祐子ちゃんを探していたのだ。周りの人になんと思われても、万祐子ちゃんが帰ってきてほしい、ただその一心で。

 

きっと、お父さんもお母さんも、もちろんハルカさんも誰一人として結衣子のこの気持ちを知らなかったのだろう。疑っていたのも冗談だと思っていた?いやいや、帰ってきた「万祐子ちゃん」を本当に万祐子ちゃんなのか、と結衣子がたずねた時点で真実を話すべきだった。子どもだからってだましとおそうなんて、そんなそんな都合よく、大人だけの話合いで終わらせるのなんてどうなの?とわたしは結衣子の後ろで憤っている。子どもだって大人と同じように敏感なのだ。なめてもらっちゃ困るよ、と言いたい。子どもの結衣子に代わって主張したい。

 

大学生にもなって、打ち明けられたこの真実を結衣子はどう受け止めればいいのだろう。そして自分だけが真実を知らなくて疑念を持って過ごしていた時間、真実を今知ったことによって出てきた万祐子ちゃんに対する失望、これらをどうすればいいのだろうか。あの時持っていたどうしようもないもどかしい思いは、お母さんに対してではなく、そんな思いをお母さんにさせてまでもそっちにいることを選んだのはなんでなの万祐子ちゃん、と万祐子ちゃんに対する非難に一瞬で変わった。

 

わたしも結衣子と同じ意見だ。なぜ弘江のもとへいったのか。分からない。終始結衣子目線で語られているからこんなにも結衣子に感情移入しているのかもしれないが、万祐子ちゃん(本当は遥だった)の気持ちが最後まで分かることはなかった。そこまでも分かってあげろ、それが家族ってもんじゃないか、なんて言われたら、それはあまりにも結衣子の気持ちがわかってないと思う。わたしは、万祐子ちゃん(結論、遥だった人)も、帰ってきた「万祐子ちゃん」も、両親も誰も信じられないから、そんなの本ものの家族じゃない、と思う。家族はお互いがお互いを大切にしあっている。結衣子が帰ってきた「万祐子ちゃん」を疑っている時点で、真実を話してどうしていくか、を話し合うのがお互いを大切にしてるってことになるのではないかとわたしは思う。少なくとも隠すべきではなかった。それはあまりにも結衣子の気持ちを無視している。真実を話すには幼いから、とかそういう理由を並べ立てるのであるならば、わたしはこう言いたい。「じゃあ最後まで隠し通せ。」と。結衣子に救いがないじゃないか。ほかのみんなは自分で折り合いをつけてきたに違いない。でも結衣子は真実を知らなくて、折り合いをつける前の段階にしかいられなかったのだ。真実を隠し通してくれていれば、折り合いはつけられたのかもしれない。でも、結衣子は違和感を感じていたのだ。まあ最初から真実を隠すことは無理だったのだ。そのことに誰か気づいて、はやく真実を教えてあげてよ。結衣子が悩んできた時間は何だったのか。おいおいおい!とヤンキーばりにそっち側全員に声をあげたい。

 

湊かなえさんが天才すぎて、はまってしまったって話

わたしはハッピーエンド大好き主義者だったので、なかなかバッドエンド(といえばいいのか、救いがないといえばいいのか)の小説は読むことが少なかった。様々な経験をして、バッドエンドでも受け入れられて、さらにそれを楽しむことも出来るようになったので(というと言い方に語弊があるかもしれないのだが)、今回湊かなえさんの本を読んでみることにした。湊かなえさんの本はバッドエンド(といえばいいのかなんといえばいいのか)のイメージが強かったので、唯一白雪姫殺人事件をDVDで見たくらいだったが(めちゃくちゃおもしろかった笑、そしてその時に気が付くべきだった)、今回しっかりと読んでみて、とてもおもしろかった。ぞくぞくするような救いようのない理不尽なラストだった。しかしそこに至るまでに丁寧に結衣子の心情が描いてあった。だからわたしはこんなにも結衣子に感情移入して最後ともに理不尽さを味わい、本ものとは…?と疑問を持った。湊かなえさん、天才すぎる。気が付いたのが今更でごめんなさい。めちゃくちゃおもしろかった。

 

ちなみにこの後すぐに告白も読んだのだけど、こちらも最高におもしろかった。でもわたしは告白よりこちらの豆の上で眠るのほうが好き。好み笑。また感想書きたい。

 

本日も読んでくださりありがとうございました。

1人暮らしを始めるのならば、ランチョンマットを忘れないで。

家具をそろえるのもいいけれども、小さいものこそ生活を豊かにする。

 

春を迎えると、1人暮らしを始める人が多くなると思います。なんでこの記事春に書かなかったのって気分じゃなかったからです、来年の参考にしてください。いや、小さいものだから今すぐにでもそろえられます。

 

ランチョンマットをご存じでしょうか。

 

ええ、ええ、わかってますよ。給食の時にひいてたやつでしょうって。(地域性にもよりますが。)あのランチョンマットが1人暮らしの際にはとてもとても役に立つのです。1つの机がダイニングテーブルになり、勉強机になり、まあその他諸々使ってると思いますが、ランチョンマットをさっとひくだけで、そこは食事をする場所に早変わりします。

 

驚きですよね。

 

ちなみに夏はござみたいなものが良いですよ。そうめんとあわせると見た目からひんやりと感じます。ランチョンマットも様々な柄があるので、気分に合わせてぜひ変えてみてください。あと料理に合わせてとか。

 

無くても生活が成り立たないわけではない。でもあるともう少し生活が豊かになる。そのシリーズですね。今回は食事の時間のお話でした。

 

後で忘れてなければ写真を撮って、上げますね。涼しげさ、最高です。

 

本日も読んでくださりありがとうございました。

誰かの居場所を作りたい。~三富’s Dream Talk~

最近夢ができました。あれ、このブログ書いている時には「ない」とか言ってましたよね、ってことですね。ええ、見つかりました。

 

わたしはもともと人間(とくに子ども)、教育、ということに興味があったので、教育関係の仕事に就きたいと考えていました。その夢は一度かなったのですが、今はカフェで働いております。接客業は学生時代もバイトしていたので全然問題ないですし、なんならわたくし接客業好きです、ええ。人に喜んでもらうのは嬉しいですよね。それにいいものを売るっていうのはとても気持ちがいいことだと心から思ってます。でも教育という面にも心が揺れるわけです。

 

教育、っていってもとても幅広いとは思いますが、長期的にわたしたちの姿を見てもらっていろいろな大人がいるし、色々な働き方があるなあ、っていうのも知ってもらいたいと思います。また自分で考えることの出来る人になってほしいので、様々な人と会えるそういう場をつくりたいと思ってます。視野の広い人になってほしいし、思いやりを持ち合う世界になってほしい。今の教育は間違ってるなんて声高に叫ぶつもりはないけれども、人生長い目でみるともっといい方法あるんじゃないの、とは思います。わたしたちは今よりもっと優しい世界で生きていけるし、そういう選択をしていきたい。

 

特に「居場所」というのはキーワードです。安心できる居場所があれば、最後にはこの人たちが守ってくれる、という場所があれば、チャレンジすることが簡単になると思うんですよね。数字が出せれば説得力増すと思うので、統計とかあればいいんですけど、ごめんなさい、すぐにこの資料を、とか提示できないのでかなりの感覚論になってしまいます。

 

様々なバックグラウンドを持つひとたちが年齢問わず集まって、美味しいものを食べたり、ワークショップ出来たりそういう機会を提供できる場所を作りたいです。わたしは人はあまり好きではないですが、人とかかわることは好きです。あと、美味しいものは世界を平和にします。人の笑顔も世界を平和にします。安心する場所にきたならば、心が平和になります。それは幸せです。

 

どうでしょう。

大学時代には小学校教諭になって子どもたちを救いたいなんて思ってましたけど、まったくもって違う夢になってしまいました。しかし考えだったり価値観だったりっていうのは変わっていきます。変わらないものも大切ですが、経験を積むことで成長していくので考えが変わっていくことは当たり前です。わたしはいまこのような夢がありますが、その過程のためにどう動いていくかが問題です。美味しいものについてはもっとコーヒーのことを学びたいです。そしていろんな居場所の在り方についても知りたい。

 

亀のように遅い歩みかもしれませんが、すこしずつ夢実現にむかって歩いて行きます。

 

本日も読んでくださり、ありがとうございました。

怒りをくれよ/GLIMSPANKY は良い曲である。【ごめんねタイトルと中身あんま関係ないよ。】

GLIMSPANKYはイチオシ。

フジロック開催してますね。わたしは家でYouTubeの放送を見てる組なのですが、とても(1人で)盛り上がっております。わたしはGLIMSPANKYが好きなので、配信してもらえて最高にうれしいです。ボーカル、松尾レミさんのハスキーな声が良いのです。普段は女性ボーカルの曲をあまり聴かないわたしもおすすめします。心つかまれるので、一度聴いてみてください。

 

怒りをコントロールする。

さて、今日は喜怒哀楽の怒についての話をしましょう。

 

わたしは人からよく怒らないよね、と言われます。わたしも最近は自分でも怒らないなあと思います。以前は(というか幼いときは)結構な勢いでブチ切れてたことも多かったように思います。そしてその被害は妹に及んでいた気もします。そのときはごめんな、あまり覚えてもないことに罪悪感を覚えながら。

 

怒りのコントロールがうまくいくようになった、ということもありますが、それよりわたしがこうかな、と思うのは、省エネするようになった、ということです。

 

怒りの省エネ、とは。

怒りを持つときってものすごいエネルギーを消費するんです。皆さんも人生の中で少なくとも1度くらいは怒ったことあると思いますが、怒りに身を任せるとそのあと疲れたり、しんどくなったりしたことありませんか?わたしはものすごく疲れます。疲れるから、もう怒らんくていいやん、そう思っております。

 

じゃあ怒りたくなる時はどうするの、って話なのですが、そもそも周りにあることを怒りのエネルギーに変えるのは自分です。自分がいらいらする要素を持つから、いらいらするんです。例えば、コンビニで長蛇の列、急がなければいけない、目の前のご老人がお金出すの遅い!遅れる!やめてくれ!、で怒りが発生。こんな時もありますよね。しかし、よく考えてみると何が悪いのでしょうか。コンビニでもどこでも、誰かが並ぶと列ができてしまうこの現象はよくあります。そして、ご老人のお会計が遅いということもよくあります。「わたし」が急がなければならない理由は、なんなのでしょうか。そして「わたし」はそのタイミングで絶対コンビニに行かなければならなかったのでしょうか。さらに「わたし」はおにぎりの具で15秒ほど悩んだのではないでしょうか。それは長蛇の列の後方に並ぶ要素にならなかったのでしょうか。

 

あれ、そう考えると余裕をもつことのできない「わたし」の問題なのではないのか?と思えてきますよね笑。まあまあ、それでも会計をもっとはやくせえ、とかいろいろ思うことはあるとは思いますよ。ただですね、余裕を持っていれば大半のことは許せますし、怒りの要素にはなりません。怒りの要素には焦り、というのも入ると思いますよ。あと、恥ずかしさ、とかね。でも怒りって誰の得にもならないではないですか。そうです、誰得、です。

 

ただ。それでも抑えられないとき、ありますよね。自分には非がないのに、(自分で思ってるだけかもしれませんが)なにかしらの悪いことが自分に起こるとき。特に人間関係は、自分が環境をつくる、といっても相手の感情、行動までコントロールできないので難しいものがあります。そういったときは、その感情をスルーするスキルが大切です。「うわー、これ無理やわ、なにやってるねん、信じられん。何この人」と一瞬頭によぎり、沸騰しかけますが、次の瞬間「いや、知らんわ」と自分とは関係のないものにするのです。そうすると、わたしに対する物事が自分とは関係のないもの、に代わります。怒る必要ありますか?ありません。

 

余談ですが、わたしは妹から愛のあるDisをくらうことがたまにありますが、以上のこととは違って怒りはわきません。なぜならばわたしは妹が好きですし、妹もたぶんMaybe愛を持ってdisってくるからです。愛は強いですね。ええ。総括すぎましたね。

 

怒りの省エネに対しての結論

まあまあ、とにかく言いたいことはつまり、怒りの省エネ、とは怒りたい状況に陥らないように環境を工夫することで怒らない自分をつくる、怒りたい状況をスルーするスキルを身につける、ことで出来る怒りにかかわるエネルギーを減らす、ということなのです。あれ、そのままでしたかね。つまり、になってますか。怒ることに費やしているエネルギーを違うことに使えばいいと思いますよ、ほんと。

 

蛇足ではありますが、接客業しているといろいろなお客様に会います。急にキレだすお客様は本当に謎です。ま、わたしはそれも華麗にスルーしてますし、一晩で忘れるので何でキレてたかは覚えてないですが。もちろんこちらが悪ければ店長に伝えますし、誠心誠意謝りますよ。人間ですからミスはします。それ以外のね、色々あるんです。あんまり覚えてないからこれ以上言わないけど。(というか言えないけど。)理不尽なものはほとんど忘れてます笑。

 

怒りをくれよ

高校のときとか、なぜあんなにブチギレていたことがあるのだろう、とは思い返します。今も信じられないほど急に怒りがMAXになるときも、もちろんあります。しかしどうしてもだめなときは、文章化して自分の思いを整理します。誰かに対して発散するとかではありません。これは最後の奥義ですが、とても効果があるし、誰にも迷惑かけないのでとてもおすすめ~です。あ、あとTwitterに呟くときもあります。ここ3か月で1番腹が立ったのは、韓国語の勉強3か月半頑張るわ、しゃべれるようにするわ、って知り合いに言ったら、あなたじゃ無理よ、と遠回しに言われたときは腹が立ったので見返してやる、と思い「勉強して話せるようにしてやる、見てろ」みたいなことつぶやいた気がします。ただの決意文のようですね。それにしてもこれは怒りのエネルギーを正しく使っているように思えないですか? わたしはとても正しく使ったと思い込んでます。

 

さて、わたしがこうして日々温厚に生きていることは事実です。怒りは平和を生まないので、平和に生きていきたいわたしは怒られたくないし、怒りたくもありません。そういう環境づくり、あきらめないでしたほうがいいですよ。

 

怒りをくれよ、は最高の曲なので怒りってついていても聴いてください!!!ふざけんな、俺ならやれる、見てろよ、って最高にロックな曲です。え?今までの話はなんだ、って?ちゃんと読んでください、そして歌詞もよく読んで、よく聴いてください。わたしはGLIMSPANKYをこの曲で知ったんだと思います、たしか。

 

本日も読んでくださりありがとうございました。

カフェに勤めて、コーヒーにハマった話。

わたしがコーヒーにハマった理由

もともと実家で食後にはコーヒーを飲む、そういう文化があったため、コーヒーは身近なものだった。更にカフェでバイトを始めてから、サイフォンコーヒーを淹れる機会が多くなった。(お仕事内容ですからね。)うちのカフェのサイフォンコーヒーはめちゃくちゃ美味しい。(ただ、めちゃくちゃ時間もかかる。笑。)

 

そういうことが重なって、わたしは自分の家でコーヒーを自分で淹れたいと思うようになった。ただ、コーヒーメーカーはお高い。どうすれば安く美味しいコーヒーを飲めるか、考えた結果の答えは、ハンドドリップで自分でコーヒーを淹れるということ。

 

最初に用意したのはKaritaのドリッパー。

101-D | コーヒー機器総合メーカーカリタ【Kalita】

 

ハリオにするか、カリタにするか、それともスタバとかそういうところで売ってるものにするか…悩んだけれども、安さと有名さで選びました。あと完全に感覚なんだけど3つ穴のほうが良かった。ただ、おしゃれなものが好きな方はぜひ陶器のドリッパーを買ってください。見目麗しいから。わたしはとにかくいれられりゃいい派でしたので、安いプラスチック?製を買いました。とても使いやすいのでまったくもって後悔はしていない。しかも陶器ほどではないけど、シンプルで可愛いからね。コーヒー入門したてのわたしにとって、とてもいい買い物だった。(まだやかんでお湯淹れてるけどね。コーヒーポット買いなさいよ。ちょっと高いところからほそーくほそーく淹れてるんだけどね。それはまあおいておきましょう、一旦。)

 

それで半年ほどコーヒーを淹れてるのだけれども、そろそろ次の段階に行きたくなってた。ラテアートをしてみたい。さて、どうしようか、ということで調べて、ミルクフォーマーは百均でも売ってることが分かった。と、いうことは買って使ってみるしかない。

 

百均のミルクフォーマーを使ってみた。

DAISOで売っていたミルクフォーマー。

f:id:zyoubonden:20180714205416j:plain

 

早速使ってみた。ふわっふわのミルクができた。エスプレッソなんてものは作れないので、普通に淹れたコーヒーの上に静かに流し込んでみた。うむ、お店で出てきそうな見た目。飲んでみた感想としては、ミルクふわふわ。見た目だけじゃなかった。そして下のほうには泡になっていないミルクが流れ込んでちょうどいいカプチーノが出来ていた。なんだこりゃ、最高に美味しいし、おしゃれじゃないか!

 

かき混ぜる部分と本体はばらばらにできないみたいなので、洗う際は銀色のかき混ぜる部分だけ洗ってさらっと布巾で拭いて専用の台に置いておく。本体部分に水をかけてはいけないようなので、細心の注意をはらって洗いました。見た目もシンプルで問題ない。立てかけるものがあるのはいいですね。

 

高いミルクフォーマーを買って使ったことがあるわけではないので、比較することはできないのだが、今のわたしの力量ではこのカプチーノミキサー(という商品名だった。)で十分楽しめることが分かった。まだラテアートには挑戦していないが、これからたくさん使ってラテアートに挑戦していきたい。

 

三富のこれからの成長をお楽しみに。

 

本日も読んでいただきありがとうございました。