本当の自分とは。

どうも、三富です。タイトル深い感じにつけちゃったけど、たぶんそんなに深くない話。

 

先日大学からの友人と1年ぶりに会った。少しだけメイクの仕方が変わった彼女は、社会に出た大人の顔をしていた。それでも笑った顔はあの頃と変わってない。とりあえず話そう、って座る場所を探して飲食店に入って食べ物頼んでそこから始まった話。

 

ネイル可愛い、元気してる?最近何してんの?はまってる音楽は?そんなたわいもない話をしながらもその合間合間に、まじでどうしようね~、って悩みを話すというカオスな時間。そんな中「でもわたし、大学時代から結構性格変わってるでしょ、自分でも怖いし、恐れおののいてるレベルなんだけど。」ってわたしが言ったら、咲(仮名)は「三富明るくなったよね」って衝撃的な発言をしてきた。

 

明るくなった、は久しぶりに会った友人には結構言われる言葉だ。でもわたしは大学中に自分が暗かったとは一切思っていない。周りにも暗いとは言われたことはなくてむしろ明るいよね、いつも笑ってるよね、ツボ浅すぎるよね、って愛のあるDisをくらいながら言われていた。そんなわたしの一番近くに居た人が、よりにもよって今「明るくなった」と言うとは。

 

咲に言わせると大学時代のわたしは哀愁が漂っていたらしい。「今思うと、だけどね。」って笑いながら言われたけど、わたしはなんの悲しみをまとって生きていたんだ笑。

 

大学時代はあまりにもいわゆるいい子でいなきゃっていうわたし自身の束縛が強かった、とは思う。わたしの中で完璧理想な人間像ってのがあって、それ以外になることはすべて悪だった。もちろんその人間像になれてたわけじゃなくて、それになる途中だったんだけど、それに向かう道以外は全部悪だった。

 

今思うと本当に笑っちゃうんだけど、だれからも嫌われたくなかった。絶対に傷つきたくなかった。本当は誰も好きじゃなかったのに。心の中で屁理屈並べ立ててたあのころ。そういう屁理屈ですらふたをして気づかないふりをしていい子のふりをしていたあのころ。いい子のふりをしているってことさえも見えないようにしてたあのころ。たぶん客観的に見ればあのころのわたしはそういう思いをどこかに抱えていた。わたしが醸し出していた哀愁はそれが原因。きっと。

 

素直になることは難しいし、ありのままを受け入れるなんてきれいごとって思っちゃう節はあるし、信じるなんてそんな高度なこと出来ないわって思うけれども、人生長く生きていれば、そっちが出来るってことが正しくてそうなりたい自分がいるんだってようやく認められるようになってきた。

 

咲には今の自分がどういう考えなのか、っていうことははっきり言えた。こんなこと言ってもいいのかなって躊躇うこともあったけど。思いやりをもつことと、遠慮して自分の言いたいことを言わないことは全然違うんだ。わたしはそういうとこちゃんと分かってないと、結局は自分が傷つきたくないっていう自己中心的な思いで動いてしまっていくから怖い。

 

本当の自分ってなんなのかなんて自分だけで考えたってわからない。ずっと変わってないように思っても人生いろいろある中を無我夢中で泳ぎながら生きていれば静かに静かに変わっていくこともある。

 

ただ自分がより良い方向に進めるように、そうなれるように、一生懸命生きるだけなんだ。

最初から正解ばかりを選べたらそれはそれですごくて最高な人生かもしれないけど、今気づいて方向転換して模索していく人生も楽しいんじゃないかって思う。というかそれが大半な気もするけど。

 

少なくともあの時の自分よりはパワーアップしてる。(自分比でも他人比でも)それならそれでいいじゃん、って思う。

 

反省しては前に進んでいくそれでいい。こないだよりもよくなってればいい。

 

たぶん自分の最高点はどこまでも高くできるしどこまでも追い求めていけるから。

本当の自分とか偽物の自分とかじゃなくてそれがあったからの今の自分だし、その時はそれが精いっぱいだったしそれがわたしの全部の価値観だったから。いま客観的にみてあの時はそうだったのかも、って思ったらもうそれはそれでいいじゃないか。そんなに意味づけることも本当の自分ってなんなの、とか悩まなくていいよ、今の自分と違った時あったわってそれでいいよ。その自分でストレスフリーならそれでいいよ。

 

咲の一言でこんなにも色々考えました。

また遊ぼうね。

フットワーク軽いわたしたちなんだから。

 

以上。

 

 

本日も読んでくださりありがとうございました。