3年A組2話~三富的感想文~
どうも三富です。
はじまりはポップな体操と音楽をBGMに1話が回想される。
柊「大切なのは想像力だ~♪」(にこにこ)ギャップがすごい。
HEY~創造力!これが結局今回のテーマだった。
所々にはさまれる仮面ライダーもどきが戦うシーン。
菅田くん出演作、Wは見ていたので、懐かしさも感じながら。
なんかリンクさせちゃうよね!そういうの!
過去をのぞいてみると、やっぱり香帆は澪奈をステータスとしてとらえていた発言をしていた。「まーたフォロワー増える、自慢の友達だし全国レベルって偉大だわ~」
香帆がさくらに対して「わたしだけが友達だったのに!」って言ってたけれども、そういったとこから察するに、香帆はもしかしてあの言葉の意味がよくわかってない?これが本当の友達って言えるのかなって疑ってしまった澪奈の気持ち分からない?澪奈はそのことをきちんと香帆に伝えるべきだった、自分が悪かった、と思っていた。
そうやって過去の事実が次々と明らかになっていく。
「すべて」が分かった時に罪を負うのは誰なのか?
そしてなぜ先生は自殺を知っていて止めなかった?
先生が知っている話はいつ聞いたの?
俺が復讐してやるからすべて話して死ねと?
止めたけどもう成す術がなかったのか。
自殺以外の方法で景山を救えなかったのか。そもそも死ぬことで景山は救われるのか。
景山は本当に死んだのか?
突き詰めていってもまだ全然訳が分からない。
先生は恋人に暴力をふるっていた。それは本当?文香さんが心の病にかかったのは柊先生のせい?
パンが2つあった=中尾は死んでいない
生徒たちが打ち出したこの説は積極的に推していきたい。
ただ、ここにきてまで1mmも反省していない生徒たち。
やばくない?やばいよね、ってやりにげXの批判をするだけ。
動画とともにそのメッセージが流れてきた時にやばいよね、まじかよ~関わらないでおこう、としたでしょ。あなたたちはそっち側の人間ですよ?
誰も澪奈を傷つける権利はないし、なかったのに。
ちっぽけなその自己中心的な思いは傲慢すぎて気持ち悪い。
もちろんわたしの中にも根強く張っているその思い。
誰でも何かしら経験はあるんじゃないだろうか。
わたしはある。だから猶更痛い。見たくない。思い出してしまう。
なんとも思ってないからまだ逃げようとする。どうでもいいんだろう。
なぜその思いを人に対して発散させてしまうという間違った方向に行ってしまうんだろう。
暴力で押し込めないときかなくなってしまっているその根性に立ち向かう柊先生。
煽る先生は、演技うますぎだよ、菅田将暉くん。
びびってる顔がリアルだよ、永野芽郁ちゃん演じるさくらちゃん。
いやーでも高校の時のわたしがここにいたらどうなってたかな~。
不登校になってるか、転校してるかな。いや第三者として肩身狭い思いをしながらも細々と生き延びている気もする。
香帆の思考が意味不明すぎる。最終的に死んでよ、とはどういう意味で言ったのか。
本当いつでも自分が正解。そして周りは何もしてくれないって。
悲劇のヒロインぶるのはやめなよ。
自分でも気づいているんでしょ、人を1人殺した引き金だってこと。
どうしようもならない心を抱えて香帆は先生に叫ぶ。
「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないの」
「今まで何もしてくれなかったくせに」
柊先生は「おまえらの教師だからだよ」「正しい道に導く義務があるんだ」と諭す。
色々な視点から物語が見えて、その人からは見えなかったものもだんだんと姿を現していく。さくらが香帆に伝えた「澪奈はあなたのことを友達だと思っていた」という言葉はどんな形で香帆に届いたのだろうか。
思いはすれ違い、すれ違っていき交差する。思っていたことと違うことが相手に伝わって。物事を一方向から見ていると分からないことっていうのは多々あるけれども、やりがちだよね。ストレートに伝えればいいってもんでもないし、人間関係とか性格とか諸々絡んでくると、どうすれば正解なのか、分からなくなる。
でも難しいから、分からないから、正解がないから、といって考えずに流されて正しくみえるような、楽な方へ行った結果が澪奈の死。自分だけが楽しければいいから、周りから浮かなければいいから、みんな言ってるから、きっとそうしないとわたしが生きていけないから、という勝手な理由で自分を守る。守る。守る。
自分を守ることは間違いではない。でも人を傷つけて自分を守ることは大間違いだ。
さあ謎はまだまだいくつも残っている。文香さんの父親と柊先生はなにかあった?なにか隠してる?どことどこがつながっている?50億の使い道は?
来週はなんの謎が暴かれていくのか。一旦は香帆に渡った動画を撮った犯人捜しだよね。どこまで解かれていくのかは分からないけれども、ものすごいスピード感。本当に2話目でいいのか、とばしすぎじゃないのか、とも思うけど結構いいテンポ感なのかもしれない。3話も期待。
そして朝の体操踊りたい。
以上、本日も読んでくださりありがとうございました。
みなさんの明日がハッピーでありますように!
3年A組1話~三富的感想文~
これは卒業までの10日間の話である。その10日間に何があったのか、「今」から過去を遡るドラマだ。
このドラマの1話目からして引き込まれた大きな理由のひとつに、高校生の気持ちが繊細に描かれているということが挙げられる。
自分の感情をコントロール出来なくて、暴力ふるってしまうところとか、わたしが1番の友達(きらきら)という雰囲気を醸し出したかったりとか、’’大勢から嫌われない”方を選んでしまうところ、自分たちが絶対正しいと思い込んでる謎の正義感をかざし続けてしまったりとか。
思い出したら懐かしくて恥ずかしくて、でもこういう思いは誰しも少しは思い当る節があるのではないだろうか。
(自殺した澪奈と)「この中だったら1番仲良かったかな。」と言い切った香帆に対して「友達だったのは茅野ちゃんでしょ。」と悪気もなく事実を提示してしまった華。そう声をかけられた茅野さくらだが、香帆と目が合ってしまったためお茶を濁す。そして香帆は代わりに「さくらだってそんなんじゃないよ」と否定する。
この一連の流れもわたしには思い当る節がある。言いたいことはあるのに、相手に制圧されて言えなかったことがたくさんある。それと同時に誰かに「言わないで」って威圧して違うことを言ってごまかしたこともある。
もともと香帆と澪奈は仲が良かったのだと思う。一緒に帰ろうと声をかけた香帆に対して澪奈がごめん、先約がある、と断ってさくらのところへ向かったシーン。それでそう感じた。誰のものでもないのに、わたしの1番の友達っていうのを持ちたいときがある。わたしのこと1番分かってくれて、いつもそばに居てくれてありがと☆みたいなやつ。わたし以外と仲良くするのは許せん、みたいな思い。でもこれって生徒特有みたいな思いではあるのかもしれない。大学生になってからはそんなこと思わなくなったから、きっと学校という狭い世界だけで生きることを強要されている時期はそう思うのだろう。
だから澪奈が自分ではなくてさくらと仲良くしていることが、香帆にとっては気に入らなかった。強いもの、香帆は。だから言い方は悪いけれども捨てられたことに怒っていた。手のひら返しだよ、無視するっていうのは。澪奈のステータスと友達になってたのかな?と思うくらいいきなりの手のひら返し。それで君の思いは消化されたか?数年後には後悔することになる消化の仕方だったけど。そういった思いすべてをこめての香帆からさくらへの台詞。「自分が1番の親友みたいに語っちゃってさ、そういうのむかつく」吐き出した言葉はそのまま香帆がそうなりたかった、と言っているようにしか聞こえない。
一方大勢に飲み込まれてしまったさくら。なぜ大勢が正しいと思い込み、その世界で自分だけが平和に生きようとして、大切なものを失いそしてそれが大切なものだったと後から気づくのだろう。この経験もあるからよく分かるけど、やっぱりその世界の中でなんとか生きていくしかない、って思ってしまうからそうなってしまうのか。
そういった世界を経てからの今でしょ、って。成長するでしょう、って言葉もあるかもしれないけれど、誰かを傷つけて成長する環境は正しくない。スタートから歪んでいるこの世界ではあるけれども、この環境を打破していくことは可能だ。その環境は変えなければいけない。成長の仕方も色々ある。だから、大勢が言ってる正しさのようなものには従わなくてもいい。それを選択できるか?というのはとても難しいことだけれども、そう出来る環境を作っていきたい。
柊先生は言葉を紡ぐ。みんなに対して語りかける。20時というタイムリミットをすぎて1つの解答が出てから。「なぜクラスメイトが死ななければならなかったのか」それを考えてほしいと。
本気になれよと体中から叫んでいる柊先生。何が目的で始めたことなのか全部は分からないけれども、変わってほしいと願っていることは分かった。それと同時にここまでしないと本気で考えられない「生徒」への嫌悪感が募る。自殺した人がいるのに目をそむける?自分たちには関係ないと切り捨てる?その人のことを背負って生きろなんてことは言わないけれども、自殺というシナリオは入学当初にはなかったよ。外的環境をつくってきたのはお前らだろう。そしてクラスメイトに対して「お前が間違えたんだから、お前が死ねよ」そんな人たちと一緒に生きている、ということが苦痛だ。人の自己中心さ、悪意を受け止めることが出来ない。その思いが充満している世界は正しくないし、ぶち壊したい。
「どうしてそんなに心が貧しいのか......ようは心が空っぽなんだよ!!!」
「......一体何から卒業するって言うんだよ」
「そして変わるんだ。......変わってくれ」
生徒を殺す前に柊先生は語り尽くす。吐き出す。
ここまですれば変わるだろうと願っている柊先生の願いは届くのか。生徒を監禁し、生徒を殺してまで。人道的におかしなことをしていることは分かっている。しかしその背後にある思いは何だろう、と真剣に見てしまう。
ここから先どうなるのか脚本と出演されてる女優俳優陣の腕の見せ所なのかな、と思う。1話は演技によってすごくのめりこみながら見ることが出来た。ネットでは賛否両論だったけど、わたしはこのぶっとび設定もすんなり受け入れて、とりあげられている問題に対して深く考えている。毎週わくわくしながら(というのは少し不謹慎なのかもしれないが)見るだろう。
本日も読んでくださりありがとうございました。
牛丼との出会い。〜初めての松屋〜
どうも、三富です。
今日は、初めてiPhoneから書いてます。
年末いかがお過ごしでしょうか。
咲と遊んだ帰りの道すがら、22時。
お腹が空いた私たちは、すき家の看板を見上げていた。
すき家に入るかどうか。
悩ましかったのは近くに、ラーメン屋もてんやも松屋もあったからだ。
「牛丼チェーン店に入ったことがない。」
私の一言で選択肢はせばまった。
更にこんな時間に食べるということがそもそも良くないのだけれど、せめてもの抵抗ということで、ミニサイズが選べる松屋に入ることになった。
330円でこんなに食べられるんですか。
未知との遭遇。ミニサイズとは、と問いたいサイズ。わたしにとっては普通サイズだった。座ってから3分もしないうちに番号が呼ばれて、おばちゃんがチケットをもぎって、トレーを渡してくれた。
「いただきます。」
提供された時間に比例するみたいに、あっという間に平らげた。七味をかけてかきこんだ牛丼は結構あっさりとしていて美味しかった。
セルフのあたたかいお茶をいただいて、静かな店内をそそくさと出る。
ジャンクで美味しいものの発見にドギマギしている。夜中に食べたくなってしまうやつだ。
1人では行かないけど、コスパは良いなあと言ったら、持ち帰れるよ、具だけでも。と返ってきた。
うーん。そしたらリピートしちゃう。
ジャンクなものとの出会い。
本日も読んでくださり、ありがとうございました。
そっけない/RADWIMPSの虜になってる。
ラッドといえば、私の中ではふたりごとのイメージが強い。中学の頃に遡るけれども、「ふたりごと」ではじめて RADWIMPSにふれた。友だちがやいてくれたCDに入っていた曲。その時はよく口ずさんでいた。
そこからかなりの時はたち、君の名は。ブームが起きた。私も例に漏れずそのブームに乗っかって通勤時にスパークル→なんでもないや→夢灯籠をひたすらリピートして聴いていた。(前前前世は聴いてなかった。笑。)
そしてまた時は経ち2018年12月。
私はいま「そっけない」にどはまりしている。
私の中で私はRADWIMPSのちゃんとしたファンではない。ミーハーと言えば適切なのだろうか。それが正しい気がする。だから、新しいアルバムが発売されることはネットで知っていたし、Takaやあいみょんとのコラボ楽曲があることも知っていたけれども、ミーハーたる所以で「そうなんだ、機会があれば聞いてみよう」という思いくらいしか持ってなかった。(ちなみにその後、MVがあがっていたのであいみょんとのコラボ、『泣き出しそうだよ』は聴いていた。)
でも同じくMVが上がっていた『そっけない』のほうは気づいてなかった。
知り合いのライブに行ってきた、とはこないだの記事でお伝えしたが、その時カバーしていた曲がそっけない、だった。MCでRADWIMPSの曲だ、と言っていたので「ふーん、初めて聴く曲だ」とほわーんと聴いていた。そして後日もう1度2人の演奏で聴きたいなと思いながら原曲を探してMVにたどり着いた訳だ。
MVを見ればだいたいみんな同じような解釈になるとは思うのだけど、聴いている1人ひとり持っているエピソードが違って、YouTubeのコメント欄がすごいことになっていた。するすると音楽によって思い出される過去。整理される今。すごい力だ。切なさの塊と言えばいいのか、なんと言えばいいのか。いやそれこそ泣き出しそうだった。
映像を見ながら1回、コメント欄を見ながら1回。2回聴いて「好きだ」と思った。YouTubeのコメ欄に溢れているような切ない恋の話はできないけれども、感情の共有がしたいから、感じたことを書いていきたい。
くっと僕をつかんで、そしてキスが終わった後口角をひゅっとあげて満足げな顔をしていたあの子は、起きた後すっと身だしなみを整えて、身を翻して帰っていった。僕は何が起きたのかよく分からずに、混乱したまま目を閉じる。
なんでそんなに そっけないのさ そっぽ向いてさ
君の方から誘ったくせに 俺じゃないなら早く言ってよ
そんなに暇じゃないんだ
え?って思ってる僕の気持ち。おいおい待てよ、それはなんなんだよって。私も思ってしまった。あなた幸せそうな顔しといてどうしたのよその変わり身は。
ちょっとひどいんじゃない あんまりじゃない
恋がなんだかもうわからないんだ
君が教科書になってくれるかい
いいよって君が言うなら 暇はいくらでもあるから
でも僕にとって君のことが好きってことは自明なんだ。
このサビが好き。好きって気持ちは明らかなのに、相手のことが分からない。もどかしいこの気持ち。人の気持ちなんて分からないし難しい。「ストレートに表わして」そう願うけど、そうもできない私たち。そしてきっとストレートに表わされてもそれが本当の気持ちなのかどうか、疑っちゃうことも多い。
なんだったんだろう、あの態度。
なんだったんだろう、あの表情。
そして放たれた言葉1つひとつに意味を見出す。
気持ちが伝わるようにと手を重ねたはずなのに、そして唇を重ねたはずなのに、どうして思っている気持ちと違うことが起きるんだろう。何が本当のことなのか、分からなくなってくる。
君がいいなら暇はつくるってそれだけを言いたいのに、そんなに暇じゃないんだってちょっとツンってはいってるの、自分を守るためなのかなって思う。こんなにものすごく大好きなんだから、自分が傷つかないために自分のこと少し守るくらいはいいでしょ?これくらいは許してよね。って言ってるように聞こえる。
こうやって思ってた僕が君に心を揺さぶられて、不安になって迷って、でも最後に決意するんだよね。
だから今すぐ こっち向いてよ こっちおいでよ
いい加減もう諦めなよ 1秒も無駄にはできない
You know our time is running out, baby
もっと近くで もっと側で
この視界からはみ出るくらいに
君だけで僕を満たしたいの
いいよって君が言うまで 君と今日はキスをするまで
ここから動かないから
ああこの曲、小説みたいだから好きなんだ、たぶん。わかったわ。そうだわ。そしてこの歌詞に自分のことを乗せてるから1人ひとりのストーリーになって、広がっていくから好きなんだ。映像ともめちゃくちゃ合ってるし。
個人的に1番好きなとこ。
君の分厚い恋の履歴に残ることに 興味なんかないよ
君のたった一人になる以外には
みんな本当は本当はたった1人に大切にしてもらいたいって思ってるでしょ。そうでしょ。そうなんでしょ。私はそうだよ。笑。何人目だったとしても最終的には選んでほしいよ。私だって気づいて欲しいよ。
ハッピーエンドとか前向きな話でも、この曲の解釈とともに話されると切なさが溢れ出すのはなぜなのか。たぶんこの、人の気持ちが分からないことに立ち向かおうとして歩み寄った結果を話しているからなのかな。相手を好きになることだったり、信じることだったり、気持ちを伝えることだったりには必ずものすごいパワーが必要でそして悩むことも多くて、でもそれをえいや!って勇気とともに乗り越えていく。その勇気を出すためには色々葛藤だったり大変なこともあって、それらを溢れんばかりに感じるから切ないのかな。
ああでもこの曲が好きだ。
書くまではこの思いがなんなのかよくわからなくて、ただ漠然と切ないけど好き、と思ってリピートしていた。
そうやってMVを何回再生しただろう。ずっと流れ続ける『そっけない』
(ちゃんと音源も買ったので)しばらくはこの曲にどっぷり浸かって、切なさともどかしさをたっぷりと味わいたいと思う。野田さんすごい。(それしか言えん。)
以上 そんなにラッドのことを知らないけれどもこの曲に心を動かされて、はまりにはまって、何か書かないと居られなくなった三富の感想でした。
ピアノの優しい音色と野田さんの優しい声が合わさって本当にずっと聴いていられる。
本日も読んでくださりありがとうございました。
何者にもなれるわたしたち。
どうも三富です。
こうなりたいと夢をもって生きていきたい。
誰か、が持っている夢にちょっとでも関われたら嬉しい。
そんな気持ちをもって知り合いが出たライブに、友達の咲と行ってきた。
何組か出演する人は居てその中で大輔くん(仮)は1番最初。ささっと舞台の隅に陣取り真ん前で聴かせてもらった。
ギターを持って座ってる大輔くんはアーティストだった。ボーカルさんのとっても綺麗な声。心地よかった。目をつぶって聞きたい。声もギターの音色もそのまま染み入れ。MCでバラードで眠くなりませんか?と言ってたけど、全然そんなことならなかった。全く音楽の知識ないからギターについてはすごいとしか言えないんだけど、かっこよかった。ふむ。ハモるとこも素敵だったのでにやにやしちゃった。
オリジナル曲も2曲。解説がありがたい。どういう気持ちを込めて作った、とか聞くとより深く聴けるからそういうのきけてすごく嬉しい。わたしはカバーより断然オリジナル曲のほうが良かったと思う。
思ってたよりもあっという間に時間は過ぎ去りもう少し聴いてたかった。あっさりさっぱりと終わった。わたしの中で余韻がすごい。音楽ってすごいよねって思う。思う。思う。楽しい音の時間だった。
このユニットではこの日が初めてのライブだったそうだ。記念すべき第1回!
咲と2人でCD出してよ~って言ってきたので出してくれると信じてる。
この先どんな夢を描いてるのかは詳しくは知らないけれども、わくわくがたくさんあるんだと思う。勝手な憶測だけど。いつか聞かせてほしい。
来てくれてありがとうございましたって言葉には呼んでくれてありがとうございました、と丁寧に何度も言いたい。音楽について細かいこと分からないし、表現する言葉が見つからなくてめっちゃよかったよしか言えんくてごめんなさいとも思うけどいいかな、そこはちょっと許してほしい笑。
【追記】
奇しくも夢の話を岡崎体育さんも書いてた。わたしも自分の夢はきちんと話そうと思う。そして叶えることが出来るように行動しようと思う。
わたしの夢は人の居場所をつくること。平和な世界。わたしもあなたも幸せになること。具体的に言うと美味しいものは人を幸せにするから、カフェを出したい。美味しいパンと美味しいコーヒーなんて最高じゃないか。そこに色々な人が来てほしい。年齢も性別も国もバラバラな人たちが集まる場所。お互いがお互いを尊重できる場所。一緒に居てもいいし、1人でいてもいい。そして新しいことが始められる場所。安心できる場所。戻ってきて大丈夫だって思える場所、を作りたい。ここをジャンプ台としてどこまでも飛んでいくことの出来る場所。思いやりにあふれて、悪意なんてものが存在しない場所。
書くことも大好きだから、いつか本を執筆できたらと。益田ミリさんみたいなエッセイを書きたい。誰かの背中を押すことの出来る言葉を紡ぎたい。誰かの心にじんわりと温かく広がる文章を書きたい。
あれ、だいぶん長くなっちゃった。
でも夢を話すとわくわくするじゃないか。
夢がないとダメ、なんてそんな野暮なことは言わない。でもやっぱりわたしは夢を持って、信じられないくらいの熱量を生み出して生きたい。
そういう人たちと関わって生きていきたい。
本日も読んでくださりありがとうございました。
文章を書きたくなくなった。
どうも三富です。タイトルからマイナスに受け止めてほしくないのですが、そういうときもあるよ、って話です。そういうのをきっとスランプというのでしょう。
わたしはアナログだろうとデジタルだろうと書くことが好きです。
でも、最近は文章を書きたいとあまり思わないし、書けません。
そういう時は文章を書くということから離れます。
でもちょっと書きたくなったかもと思ったら、軽い話を書きます。
今日はそのターンですね。
今日は1か月たったわたしの超オン眉前髪の成長の話をしましょう。
アシメかつオン眉になったわたしの前髪ですが、なんと眉毛下くらいの長さになってきました。邪魔なので、切りました。アシメかつオン眉を若干後悔していたので、ぱっつん前髪に戻しました。
もちろん、アシメもどきでしたので長さが不揃いなところもあります。しかしだいたいはもとに戻ってきました。ぱっつん前髪のほうが似合っているような気がするのは見慣れているからなのでしょうか。
いやー、大変どうでもいい話をしてしまった。
そして書いた時の満足感も特にない。
まあいいや。
では、皆様おやすみなさい。よい夢を。
僕らは奇跡でできている9話をみて~三富の感想~
今回の話でわたしが一番印象的だったのは、樫木先生が相河先生に「この場所じゃなかったら、学生たちの前で成功者のように振舞うことはできない。どうか消えてほしい」と言ったシーンだ。
相河先生は周りの人の理解がないと難しい人だと思う。見ている限り。
家ではおじいちゃんと山田さんが。
大学では鮫島教授が支えてくれている。
(もちろんもっと支えてくれている人はいるけど、主な理解者。)
樫木先生は「ここじゃないと、君は生きていけないじゃないか」と現実をがしっと突きつける。
綺麗事を言ってしまえば、どんな人でも理解できる人たちにわたしたちがならなければならない、と言えるだろう。今回わたしが言いたいことはそんなことじゃないし、ドラマが伝えたいこともそんなことじゃないと思う。
樫木先生の言っていることも一意見として、生きている人間として持ちうる当たり前の感情だ、ってことだ。
わたしは物語の最初から相河先生のことを知っている。そして相河先生がどんな幼少期を過ごして、どのようなバックグラウンドを持っているのかも(描かれている内容だけにはなるが)だいたい理解している。
たぶん、というかほぼ絶対樫木先生は相河先生のことを何も知らない。
理解してくれ、というにはあまりにも関係性が薄すぎる。
わたしが樫木先生の立場だったら、もしかしたら同じことを言っているかもしれない。
でも、でも、でも。
相河先生がそこで、そのように生きている、ということには盛大なリスペクトが必要だと思う。周りの人に恵まれていることも、支えてくれている人がいることも。
その場所で美しく咲いているじゃないか。
それは事実じゃないか。
そうしたらその世界をあなたがわざわざぶち壊す必要はあるのだろうか。
鮫島教授がいうように、樫木先生は何か別のことを重ねて、どこにもぶつけることの出来ない思いを抱えて、それを一番自分とは(今)逆の状態にいる相河先生にぶつけたのではないだろうか。
樫木先生の言うことは、すべてではないけれども間違っていない。ただ相河先生はいい人だし面白い人だから違う場所でも時間をかければなじめるし多くの人に支えられて上手くやっていけると思う。
きっと自分とは全く違う人を受け入れるということには、心の余裕が必要なのだ。
樫木先生はいろんなことで追い詰められているんだ。きっと。わたしたちは、相河先生のことは知っているが、樫木先生のことは知らない。だからわたしたちも樫木先生があんなことを言ったのはなぜなのか、を知らないまま樫木先生を否定することはできない。
来週樫木先生が何かを鮫島教授に話していたけれども。そしてどうやら相河先生はあの大学を去りそうだけれども。
今回何かの歯車が狂いだして、いや動き出して、とポジティブに言おう。動き出して、次の何かが始まる予感がする。みんなの心に落ち着きとそして平和な世界が取り戻されますようにと思いながら、次の火曜日を心待ちにしている。
今回水本先生との関係が近づいたように思えるけど、それは小さな嬉しさで、不器用な2人がすこーしずつすこーしずつ自分と相手を理解していくんだなあと優しい気持ちになって見ている。
(わたしは榮倉奈々ちゃんがものすごく好きなので、ドラマに出ていることがとっても嬉しい!)
そろそろドラマの変わり目の季節になってきた。最終話どう迎えるのかどのドラマも楽しみだ。
本日も読んでくださり、ありがとうございました。