居心地をつくるのは、わたしとあなた。
ある人と一緒にいて、居心地がいいと思う。
この人といるとなんだか居心地が悪いなあ。
こういった感覚は、わたしたちの中に明確に存在する。
わたしはお人よし、というか気を使いすぎるところがあって、本当は一緒にいて居心地が悪いのにも関わらず、居心地が良いようなフリをするのが得意。本当は一緒にいると疲れるだけなのにも関わらず、はた目からみると仲良くしているように見えるように、どこかの誰か、第三者の視線を気にして、うわべだけのコミュニケーションをとることがある。
書いててちょっとぞっとした(笑)
少しずつそういう癖はなくなってきてるんだけど、これ誰も得しないのよ。
自分の感情に正直になるようにしている。でも隠すほうが楽っちゃ楽なんだよね。素の自分を受け入れてくれる環境というのはあまりにも少ないから。だからいる空間を居心地をよくする方向へなんとかもっていこうとじたばたあがく。本当は居心地悪いし、そこにいる人のことを何とも思っていないのに。
わたしが本音で話せる友人は少ない。でもそういう友人との時間だけを大切にしていけばいい。無理して居心地の悪い空間を良い空間にしようとしなくていい。場の雰囲気を変えるってことはわたしの個性かもしれないけれど、居心地のいい空間をそのまま保つ、っていう方向にシフトチェンジした。
もちろん、大勢で集まることもあって集団の中でなんとかやっていかなきゃいけないときもあるんだけど、その時は無理をせず一人を選ぶことにした。だれのための場所なのか、っていうのを考えたときに誰かから見られたわたしを演じるのは「わたし」のためじゃない、と思ったからだ。
だから集団の中でひとりでいても放っておいてほしい。かわいそうだから話しかけてあげよ~っていう同情はいらない。誰も話す人いないから、この人と話してなんとか体裁保とうっていう元わたしに似た人からも話しかけられたくない。
本当にわたしと話したいことがあるなら、その時だけ話しかけてほしい。
わたしも、あなたと話したいと思ったら、あなたのところに行くから。
人脈が広がらないよ、友達増えないよ、出会いがないよ。
そういった批判には、「それで結構」と答えたい。
なにも困ってないから、今。
浮いてるよ。
そんなの知ってるよ、でも目的があってわたしがそこにいることを選ぶのと、浮くからという理由で目的があるのにその集団に加わらないのとどっちをとるか、と言われたらわたしは浮いていてもそこに一人でいる、という選択肢をとる。
居心地の良さはわたしが創るものではなくて、
わたしとあなたが創るもの。
そしてどうしても良くならない組み合わせもあるの。
それはしゃーない。わたしたちの関与するところではない。
第三者の目を気にしていることで自分の人生を生きられない、そんなことはまっぴらごめんだとようやく言えるようになってきた。まだ怖いと思うけど。
上っ面の関係なんてごめんだよ。
自分のことしか考えてないことがありありとわかるからね。
(まあ特大ブーメランかましてることは自覚してるので許してください笑)
自分で選んだらいい。
好きなものを好きなように。
わたしは無理にいろんな人と会ったり集団の中にいくよりも、本当に大切な友人との時間を大切にしたいと思うので、それを選択する。だから無理して選択させないで、誰かと一緒にいなさい、とかこの人たちと仲良くしてください、とかそういうの。
ふう、今日は疲れた。
ゆっくり湯船につかろう。
本日も読んでくださりありがとうございました。