読書記録◎木漏れ日に泳ぐ魚/恩田陸【ネタバレあり】

文春文庫において既存本の売り上げがNO,1らしい。(本の帯より)

 

わたしの中でこれから少なくとも3回は読むと思った本(つまり1度読んだことがあって、という前提をもっている)しか小説は買わないようにしているのだが、この本は10ページほど立ち読みして、買ってしまおう!と決意してしまった。

 

あまりにも唐突だったけれども。

 

以前にもこういうことがあった。普段はあまりこのポリシーをやぶらないのだけど、その時も恩田陸さんの本だった。忘れもしない「蜜蜂と遠雷」単行本が平積みにされていた時、新刊だったから図書館でも読めず、いちかばちかで買ってしまえ!と思って中身も見ずに買った。それはまったく後悔していないしむしろナイス判断と思っている笑。

 

たまに例外はある。その例外は今回もだ。とにもかくにもわたしはこの本に出会ってしまった。

 

話題作だから?

本屋大賞をとった作品だから?

 

いやいや、わたしの心をつかんで離さなかったから買ったのだ。

 

この話はヒロとアキの2人の会話から始まる。互いに疑う気持ちを持ってしゃべっている。この2人の関係性は分からない。でも距離感からしてたぶん、カップルだった、もしくはどちらかが好きだったんじゃないか、と推察しながら読み進める。

 

どうしてかヒロはアキが、アキはヒロが、あの人を殺したと思っている。疑っている。もしかしたらそう思いたいのかもしれない。言葉と仕草のあちこちに緊張感漂う先の見えない会話はいつまで続くのか。

 

ある日2人は登山に行ったらしい。いつのまにか目の前は山道に変わっていて、あの2人がガイドの男と一緒に目の前を歩いていた。2人がこの日のことを思い出したのは、ヒロがサラミを食べようと思って使ったナイフがきっかけだった。

 

そこからするするとたぐりよせられていくあの日の記憶、出来事。いったい誰があの男を殺したのかと最初の疑いと緊張感ある会話の意味がようやく分かる。どうやらこの男を誰かが殺したらしい。そして互いにあんたが殺したと思っているのに真相がわからないようだ。

 

1年前の話を今更して、そして分かったことはどちらもあの人を殺していないってこと。では誰が、どうして。そしてもう1つ第3者のわたしが分かったことは、この2人はカップルでも夫婦でも不倫相手でもなんでもなくて、ただの兄妹だったってこと。

 

アキの中で違和感がさく裂する夜更け。一体なにがかみ合わないのか。兄妹ではなかったのか?そうだと思っているのに、わたしもアキもヒロも混乱している中で、アキだけは真っすぐに真っすぐに真実にたどり着いていく。

 

なぜあの日アキは草を結ぶような恰好をしていたのか?その時のアキをヒロは見ていたけれども彼女は覚えていなかった。思い出す、思い出そうとするとブーンと不思議な音がする。なんだこの震動はモーター音は。そうやってちょっとずつ幼いころからの記憶までもが戻ってきて、アキは自分が千秋ではなかったという結論を導きだす。

 

アキとヒロは何も知らずに出会った。自分たちが兄妹だってことも知らずに。血がつながっている者だけがわかる感覚ってあるだろう。彼らはそれを恋だと勘違いしていた。運命的な出会い。でも2人は悲しいことに兄妹だった。いや兄妹だったから惹かれたのかもしれない。それを知った2人は仲良く兄妹として過ごしていくが、アキの恋人から「君たちはそういう関係ではない」と嫉妬と憎悪に満ちた言葉を吐かれてしまう。

 

お互いに好きだったのだ。兄妹だなんて関係なしに。それに気づいたときから2人の地獄は始まった。ただすべてが分かった時にその思いはアキからは消えていた。本当に愛していたのか?その問いだけが自らに残る。

 

最後はお互いに自分の中で折り合いをつけて朝を迎える。心なしかアキの語りが多くなった気がする。ヒロの心の中はあまりわからなかった。最後ヒロが語るときは心の中のことよりも部屋の描写のほうが多かった。

 

もういいらしい、どうやらどうでもよくなったみたいだ。アキの心の中は整理されて、わたしからは悲劇にしか思えないんだけど、それすら蹴ってしまえるほどアキのなかではコメディであり喜劇として受け入れられたようだ。

 

何が幸せで何が不幸せなのか。

 

最後アキはヒロのナイフを埋める。朝日がのぼってくる。そこで話は終わる。ほうっと息をつく。わたしは確かにその一晩を一緒に過ごした。引っ越す前のがらんとした部屋の中でヒロとアキの話を静かに聞いていた。彼らの思い出といえばいいのか、過去の記憶も共有した。そして嵐は過ぎ去った。最初の緊張と疑いの空気をさっぱりと取り払って。あとに残ったのはなんだったのだろう。やっぱり似たもの同士だったと最後に2人はそう思った。綺麗にスタートに戻れたわけではないけど、ごちゃごちゃに絡まっていたものがほどけてまたスタートをきれるようになったのだろうか。

 

たぶんこれから何事もなかったように日々は続いていく。衝撃の事実も2人の中から長い時間をかけて消え去らせていくのだろう。思い出というには酷な事実に蓋をして、忘れて生きていくことが出来るように折り合いはつけることが出来た。解決が出来た。それは2人にとってとても大きな意味を持つ。

 

解説にあったような禁じられた恋愛の話、というよりわたしにとっては自分の過去、事実、そして自分自身の受け入れ方を描いていたように思える。恋愛の問題はその一端。現実を受け止めきれなくて右往左往していた心が真実が見えていくことによって安定して、今まで見えてなかったものが見えて、ふっきれることもあったしこういう自分なのかもしれないと認識することもできた。そうやって新しいスタートをきれる位置にきちんとつけたのだ。

 

たった一晩の話だけで長い間苦しんできた思いだったり理不尽な思いだったり疑いの気持ちが解決するなんてばかばかしくも思えてしまうが。ああ、これがもしかしたらアキの言っていた悲劇は他人にとって喜劇ということなのかもしれない。

 

恩田陸さんの描写はとても繊細で、わたしはいつもその世界にとらわれる。まるでわたしも登場人物のひとりかのように。さっきまでアキとヒロといたはずなのに、あのがらんとした部屋で2人の話をきいていたはずなのに、本をぱたっと閉じるとそこは現実のわたしの部屋。アキとヒロがあの日を思い出すと、わたしもあの日にワープしてそこは木が多い茂っている山の中。汗をかきながら2人とガイドさんの後を追っていた。2人が休憩しているときはとなりをつーっと通り過ぎていた。もしかしたらある時はヒロに、ある時はアキになっていたのかもしれない。焦る心、懐疑心そういったものも抱えながら読んでいたから。

 

あと3回はきっと読む。

 

以上

 

本日も読んでくださりありがとうございました。

本当の自分とは。

どうも、三富です。タイトル深い感じにつけちゃったけど、たぶんそんなに深くない話。

 

先日大学からの友人と1年ぶりに会った。少しだけメイクの仕方が変わった彼女は、社会に出た大人の顔をしていた。それでも笑った顔はあの頃と変わってない。とりあえず話そう、って座る場所を探して飲食店に入って食べ物頼んでそこから始まった話。

 

ネイル可愛い、元気してる?最近何してんの?はまってる音楽は?そんなたわいもない話をしながらもその合間合間に、まじでどうしようね~、って悩みを話すというカオスな時間。そんな中「でもわたし、大学時代から結構性格変わってるでしょ、自分でも怖いし、恐れおののいてるレベルなんだけど。」ってわたしが言ったら、咲(仮名)は「三富明るくなったよね」って衝撃的な発言をしてきた。

 

明るくなった、は久しぶりに会った友人には結構言われる言葉だ。でもわたしは大学中に自分が暗かったとは一切思っていない。周りにも暗いとは言われたことはなくてむしろ明るいよね、いつも笑ってるよね、ツボ浅すぎるよね、って愛のあるDisをくらいながら言われていた。そんなわたしの一番近くに居た人が、よりにもよって今「明るくなった」と言うとは。

 

咲に言わせると大学時代のわたしは哀愁が漂っていたらしい。「今思うと、だけどね。」って笑いながら言われたけど、わたしはなんの悲しみをまとって生きていたんだ笑。

 

大学時代はあまりにもいわゆるいい子でいなきゃっていうわたし自身の束縛が強かった、とは思う。わたしの中で完璧理想な人間像ってのがあって、それ以外になることはすべて悪だった。もちろんその人間像になれてたわけじゃなくて、それになる途中だったんだけど、それに向かう道以外は全部悪だった。

 

今思うと本当に笑っちゃうんだけど、だれからも嫌われたくなかった。絶対に傷つきたくなかった。本当は誰も好きじゃなかったのに。心の中で屁理屈並べ立ててたあのころ。そういう屁理屈ですらふたをして気づかないふりをしていい子のふりをしていたあのころ。いい子のふりをしているってことさえも見えないようにしてたあのころ。たぶん客観的に見ればあのころのわたしはそういう思いをどこかに抱えていた。わたしが醸し出していた哀愁はそれが原因。きっと。

 

素直になることは難しいし、ありのままを受け入れるなんてきれいごとって思っちゃう節はあるし、信じるなんてそんな高度なこと出来ないわって思うけれども、人生長く生きていれば、そっちが出来るってことが正しくてそうなりたい自分がいるんだってようやく認められるようになってきた。

 

咲には今の自分がどういう考えなのか、っていうことははっきり言えた。こんなこと言ってもいいのかなって躊躇うこともあったけど。思いやりをもつことと、遠慮して自分の言いたいことを言わないことは全然違うんだ。わたしはそういうとこちゃんと分かってないと、結局は自分が傷つきたくないっていう自己中心的な思いで動いてしまっていくから怖い。

 

本当の自分ってなんなのかなんて自分だけで考えたってわからない。ずっと変わってないように思っても人生いろいろある中を無我夢中で泳ぎながら生きていれば静かに静かに変わっていくこともある。

 

ただ自分がより良い方向に進めるように、そうなれるように、一生懸命生きるだけなんだ。

最初から正解ばかりを選べたらそれはそれですごくて最高な人生かもしれないけど、今気づいて方向転換して模索していく人生も楽しいんじゃないかって思う。というかそれが大半な気もするけど。

 

少なくともあの時の自分よりはパワーアップしてる。(自分比でも他人比でも)それならそれでいいじゃん、って思う。

 

反省しては前に進んでいくそれでいい。こないだよりもよくなってればいい。

 

たぶん自分の最高点はどこまでも高くできるしどこまでも追い求めていけるから。

本当の自分とか偽物の自分とかじゃなくてそれがあったからの今の自分だし、その時はそれが精いっぱいだったしそれがわたしの全部の価値観だったから。いま客観的にみてあの時はそうだったのかも、って思ったらもうそれはそれでいいじゃないか。そんなに意味づけることも本当の自分ってなんなの、とか悩まなくていいよ、今の自分と違った時あったわってそれでいいよ。その自分でストレスフリーならそれでいいよ。

 

咲の一言でこんなにも色々考えました。

また遊ぼうね。

フットワーク軽いわたしたちなんだから。

 

以上。

 

 

本日も読んでくださりありがとうございました。

知り合いですか?に出てきた昔の友達

どうも、こんばんは、三富です。

 

SNSをいじっていると連絡先から、とかFacebookの友達とかなんかよくわからんけどおすすめ、って繋がったらどうですか?という人が何人も出てくる。

 

昔、というか中学の時仲の良かった友達がおすすめに出てくるようになった、ここ最近。一体なんでおすすめに君が表示されるようになったんだ、と思いながら色々と思うことがあったので、今日はそれを書き綴りたいと思う。

 

昔って言ってるからもう察してるとは思うけれども、今彼女とは疎遠だ。連絡は1mmもとっていない。でも当時は仲が良かった。好きなものとかタイプとかは全然違ったのだけれども、クラスが同じでグループが同じだった。彼女は目が大きくて黙っていれば可愛いタイプの子。しほちゃんとでも呼んでおこう。(もちろん仮名笑。)しほちゃんは部活のことだったり進学のことだったり、色々と相談してくれてわたしも色々と話したと思う。毎朝一緒に登校もしていた。休み時間も騒いでは遊んでたし、修学旅行も同じ班だったりといわゆる「いつメン」でその中でも特に仲が良かったんだと思う。

 

高校に入ってからもいつメンとは何度か遊んだ。でも大学に入学するころには全員とすっかり疎遠になっていた。今思うとタイプが違ったってことが疎遠になった大きい原因なんじゃないかな、と思う。しほちゃんのことは好きだったし、お互い仲良くしてたのは事実なんだ。成人式で会った時も変わらない可愛い姿だったし、おしゃべりでテンションが高くて、甘え上手だった。でもきっとしほちゃんもあのころから色々あって何か、変わってたんだと思う。

 

もちろん当たり前で、逆に言ってしまうと同じってことのほうが怖いんだけど、わたしもしほちゃんもあの頃の自分とは違っている。あの時は仲良くしていたけれども、今はお互いにめっちゃ話合う!とか完全に気が合う!ってわけじゃないってことに気が付いちゃったんだ。今周りにいる友人との違いは何か、って聞かれたらそこだと思う。なにがきっかけで連絡をとらなくなったのかはわからないけれども、いつの間にか距離がおかれて、それが当たり前になってしまった。でも嫌いになったわけじゃないから、たぶん会えば楽しくやれるんだと思う。ただお互い優先順位が低くなっただけだ。そういえばよく考えると中学を卒業してからのしほちゃんの話ほとんど覚えてない。何回か会っていたあの時に話したはずなのに全然記憶にない。成人式に至っては可愛かったことしか覚えていない(笑)でもたぶん彼女もわたしに対して同じような感じだと思う。

 

しほちゃんはほかのメンバーとは遊んでるみたいだ。懐かしい名前を見たりして、ああそうかそこの人たちはつながってるのか、と思った。そこに入りたいとかじゃなくて、ああそうなんだ、って腑に落ちた感じ。わたしは結局その時は合わせて、そして合わせてもらって楽しい時間を過ごしてたけど、根本的にはお互い違う感覚だったんだなって分かった。その当時仲良くしてたことは変わりないからそれで良い。今はどこで何してるかな、元気かな、って思いを馳せるくらいでいい。もしこれから先連絡をとりたくなったらとったらいい。わたしの人生に関わってくれて楽しい時間をくれた友達だったんだから。

 

さらに驚いたことにしほちゃんとは音楽の趣味がかぶっていた。もしかしたらふらっと行ったライブで会うことがあるかもしれない。どこかで会えたら、笑顔で話せたらいい。近況を話せたらいい。開いてしまった距離を少しでも縮められたらいい。でもそれはわざわざ作る状況ではなくて、会えたらっていう偶然に任せたい。そうしたら自然に話せるし笑えると思う。

 

わたしたちはなんだかタイミングが合わなくて連絡をとらなくなったんだけど、そんな人って思い返せばたくさんいる。でもどの人ともなんだかんだで仲良くしてたり良い時間を過ごしてたことは間違いないんだから、それは否定したくない。今更連絡をとるってことはなかなかないだろうけど。人と繋がり続けるって思っている以上に大変だし難しいことだ。でも縁があったことは事実だから懐かしい話をするときにはその時はありがとうって思い出したい。そういう人多いなあ。

 

なんだか中学時代が懐かしくなってしまった。あの頃を思い出すとこっぱずかしいし黒歴史もあるけれども。みんなどこで何してるのかな。

 

以上。

 

本日も読んでくださりありがとうございました。

ライブに何度もいく理由。

音楽に身を任せたまま踊っていたい、いつまでも。

ここ3年ほどバンドのライブに行く機会が増えた。音楽の好みががらっと変わって、邦楽ロックをよくきくようになったからだ。特にスタンディングのライブは本当に興奮するし楽しいし夢のような時間を過ごせる。もみくちゃにされるけど。

 

ライブに行く理由は身体全体で音楽を感じたいから。もちろん好きなアーティストが目の前にいるっていうのもうれしいんだけど、それ以上に身体中に響く音楽を味わうことが好きだ。前に背の高い人がいて全然見えなかろうと、ライブ中周りの人々に押しつぶされても、それでもわたしはその空間に居たい。すごく狭い空間で好きな音楽に身を任せて、くるくると踊るあの時間が大好きだ。手を掲げてリズムをとったり、アーティストの言葉に煽られて、おりゃーってみんなで盛り上がったりするその掛け合いが好きだ。楽しすぎてライブ中はだいたいにやにやしてる。音楽がそこで鳴っているということが一番興奮することなのだと思う。

 

好きだといっても経験が浅いから、少しビビっていることもある。友達といくからなんとかメンタル保ってるけど、正直暗黙のルールとかよく分からないことも多い。事前にググってどんな格好で行くかなどは調べるけど、サークルモッシュが近くで出来ると「ま?!どうしよう?!」ってなってとりあえず逃げちゃうし。ファンしかわからないコール&レスポンスがあったりもする。この曲のときはこうする、みたいなやつとか。ライブハウスにも行ってみたいけど、行ったことないから足を踏み入れるのはちょっと怖い。

 

ただあの場所にいるのは等しく同じアーティストが好きなファンなのだ。浅い深い関係なく。同じものが好きであの空間にいる。そして同じ時間を共有している。ライブが始まる前のみんなのわくわくが伝わってくる空気、終わった後の名残惜しさと満足感の漂う空気。いいよなあ、良かったよなあって何度も反芻してしまう。

 

だから何度でも緊張しても1人であってもライブに足を運ぶのだと思う。誰かの言葉に背中を押され、誰かの音楽に励まされ、誰かの歌に心揺さぶられる。全然知らない人と空間と時間と感情を共有してるんですよ、すごすぎないか。みんな。めちゃくちゃ幸せじゃん。大きな目的があるとみんな1つになれる。

 

こないだ山人音楽祭に行ってきたんだけど、感動したことがある。10-FEETの時アリーナ全体があらゆるブロックで同じ動きをしていたこと。たぶんそれもこの曲の時はこうするんよ、っていうのがあるんだろうね。名前しかしらなかったところからのあの盛り上がりはわたしの心にずっしりとのしかかってきた。スタンド席から見てたけど、普通にあの輪の中に入りたかったです。つぶされて死んでたろうけど(笑)ものすごく盛り上がってたし、わたしもとても楽しかった。お目当てはUVERworldで行ったんだけどね。UVERは演奏してくれたのが知ってる曲ばっかりで本当にびっくりするほど楽しかった。曲をよく知ってからいくと尚良いって改めて思った。押しつぶされまくったけど、懸命に自分が立っている場所で音楽の波にのった。人とくっつくの本当に苦手で満員電車とかたまに息の仕方を忘れちゃったの?ってくらいに息ができなくなる時があるんだけど、ライブ中はいくら人とくっついててもそんなことないんだよね。不思議な空間。

 

さて、今日はわたしが今ドはまりにはまっている04 Limited SazabysのNEWアルバム「SOIL」の発売日でした。店頭に寄ってGETしてきました。本当に最近、はまったから予約とかもしてなくて直に行って買ってきました。がんがんな楽器隊がすごい好きなんだと思う。UtopiaとKitchinが特に好きかなあ、でもPasswordも好きだな、なんて言ってたらしまいには全部好きっていうことは分かってるんだ。ステッカーもめっちゃ可愛かった。丸く切っちゃったけど(笑)いつかライブ行きたい。

 

以上。

 

三富の独り言とフォーリミの宣伝でしたっ☆笑

いやあ、ライブ行きたいですね。(しみじみ)

好きなものにはお金をかけたい。

最近Spotifyというアプリにハマっている。「無料」で「音楽が聴ける」という情報しか得てなかったために、まことに勝手ながら使うのを避けていた。でも調べてみると、アーティストにちゃんとお金が落ちる仕組みになっていると分かったので、存分に使うようになった。

 

好きなものにはお金を落としたい、っていう思いが強い。わたしが落とすお金なんて微々たるものだけれども、好きです、応援してます、だからいい音楽作ってください、って意味をこめてCD買ったり、音源買ったり、グッズ買ってライブに行く。それでたくさん曲作ってライブしてくれたら本当に幸せだと思っている。だから無料で、っていうのはすごく抵抗があった。じゃあなんで使い始めたの?って話なのだけど、単純に興味のあるアーティストが増えたからだ。

 

そもそもわたしは邦ロックとよばれるジャンルのアーティストが好きだ。ONEOKROCKから入って、SUPERBEAVER、UVERworldSPYAIRなどをよく聴いている。ワンオクとビーバーはCDの初回限定版を買うくらいにはちゃんとファンだし、ウーバーとスパイエアーは友人がファンで、わたしも影響されて好きになったが、ライブに行くくらい好きだ。

 

それくらいの興味の幅だったのだけど、今年はじめてフェスに行って幅がぐーんと増えた。Twitterで流れてくるツイートを見て、このバンドも気になる!って思うことが増えた。全部音源買いたいけれども、「はまる」か「はまらない」かはいくつも聴いてみないとわからないから、どうしようかな~と思っていた。そこで、音楽聞き放題サービスに加入したらいいのでは?となってSoptifyに出会った。いろんなグループの曲が聴ける!聴いてるとはまる。はまったら音源を買う。そういう感じで使わせてもらおう、と思っている。有料会員になってもいいかな、とも思っている。

 

「はまる」の入り口にはとてもいいサービスだと思う。そこから音源やCD買ったり、ライブに行ったり、という実際の行動につながるし(わたしの場合は)。わたしとしてはいろんなアーティストを聴いて、自分の好きの幅が広がるのはとてもうれしい。

 

CDはジャケットとかも含めての作品だと思うので本当に欲しいと思ったらきちんと買うようにしている。音源で買うことも多いんだけど、やっぱり大好きなアーティストの作品は手元に置いておきたいなアって思う。

 

何にお金をかけるのか、は人によって異なるけれども、自分の好きにはちゃんと好きって示したいしお金をかけたいなって思っている三富の独り言でした。

 

以上。

 

本日も読んでくださりありがとうございました。

自分で自分を否定しない。

わたしは基本的に周りの人に恵まれてきたので、自己肯定感はある程度あるし、周囲の友人に比べて自己肯定感は高いほうだと自覚してきた。

 

社会人になってから、よくわからなくなってきた。

自分のことを傷つけてしまうことが多くなってきたから。

 

例えば何の気なしに放った一言を、あとで思い返すことがある。あんなこと言わなければよかった、とたぶん誰も気にしていないのにわたし自身で思ってしまう。ここから負のループが始まる。

 

言わなきゃよかった、こういえば良かった、ああやっぱりだめだわ、後悔するならやらなきゃいいのに、じゃああの場所に行かなければよかった?、あーもう(以下自粛)

 

こうテンションがだださがりになって自分のことを自分で締め上げることはたまにある。よくあることではない。でもはじまると止まらなくなるのだ。

 

記憶というものはリフレインすればリフレインするほど残るものだ。思い出すことや考えることをやめようと何度思ったことか。

 

今のところ時の経過でしかこれは解決出来てない。

 

高校時代からの友人にHELPメールを送ったことがある。あまりにもつらくて逃げだしたくて。そしたら、自分で自分を否定しないでね、三富は素晴らしいよ、と(原文はもっと長くて絵文字もたっくさんついていた。これは最後の一文)返ってきた。

 

そう、わたしは誰でもない自分で自分を殺している。何度も何度も。

 

言葉というものは本当に恐ろしいもので、自分に自分で向けていた言葉は鋭利な刃物のようだったけれども、友人からの言葉でその傷はすこしふさがった気がする。

 

自分で自分を否定しないことは時に難しい。

 

そうしないように丁寧に人生を生きていくことを選ぶなら、

わたしはもう少し生きやすくなっているだろう。

 

葛藤を覚えながらも、それでもわたしは今日も進んでいく。

明日はどんな日になるだろう。

 

 

本日も読んでくださりありがとうございました。

フリーターという肩書をもつこと・仕事を3年続けずに辞めるということ

どうも、こんにちは、三富です。

 

三富の世間一般的な肩書はフリーターです。だからといえども社会でちゃんと生きてます。今日は仕事を3年以内に辞めてしまったわたしが自分の経験含めつらつらと書き連ねていこうと思います。

 

正社員できちんと安定したお給料をいただくっていうのはもちろん憧れではありますし、実際そういう道も通ってきたわたしとしては、自由に使えるお金が多いことはメリットだってことも分かっています。ただ、いまはフリーターとしてふらふらと好きな時に働き、好きな時に休める環境を選んだってだけです。そして世間のフリーター<正社員な風潮がまだまだあることも確かです。

 

仕事辞めるとか無理だわ~wwって苦笑いしながら言ってる友達もいます。それはそれでいいでしょう。決めるのはあなた、であってわたしではありません。わたし、はこの道を選んだけれども、あなたにもこうしなさいなんて押し付ける気持ちは毛頭ありません。わたしとあなたは性格も違うように、生きる道も違います。わたしはたまたまうまくいっているけれども、あなた、の環境ではうまくいかないかもしれません。(逆もおおいにあるんです、ずっとおんなじところで働いている人を尊敬してます。)結構よく相談も受けるんですけど、そんなスタンスです。相手の話をよく聞いて、わたしはこうだったよ、って話もするけど、最後はご自分で決断なされよ、っていう。

 

社会に出たら3年はその会社を続けなさいというアドバイスめちゃくちゃあると思うんですけど、そんなのガン虫です。無視です。OMG。いややめる前に結構な頻度でグーグル様に問いかけたけど、やっぱりネットの海には3年は勤めたほうがいいよ勢が多くて、辟易しました。3年は勤めたほうがいい勢強すぎ。ただ何を無理と思うかは人それぞれですね。会社勤めに向いてる、向いてないもあるし、もう言ってしまえば会社にもよると思います。そんなん当たり前ですね。会社で出世したいとかそういう夢があるならば、続けるのが吉なのかもしれません。あなたが思い描いている未来はどのようなものですか?そこが一番ポイントかもしれません。それに自分の特性は自分が一番よくわかっているので、自分の直感を信じてほしい。あと、ずっと方向性が変らないってこともないからね、夢も変わりますしやり方も変わりますし、ゴールは変わらなかったとしてもそこに行きつくまでの道のりは何通りもあって、その何通りを自分自ら消して1つしかない、とは思わないでほしいです。

 

失敗したらどうしよう、は誰でも思うことです。でも選択することから逃げ続けたら、何も変わらないことはまっとうな事実です。続ける、という選択をしたらそこに向かって進み続ければいいし、辞める、という選択をしたらじゃあそこからどうするの?って進む方向への考えを深めていくことが必要です。何にせよ、道はあります。たぶん迷っているときが一番苦しくて、どうしようもないときです。わたしも多くの人に支えられて今があります。頼れる人は全員頼ったらいいです。そして、その時の恩返しはいつかその人にでも、もしくは違う人にでもしたらいいと思います。わたしはそうしようと思ってます。3年続けなきゃいけないのか?と悩んでいる人、ネットでググってる人、こういう意見もありますよ。でもだいたい自分の中で結論でてませんか?思い切ってやってみるのもアリです。

 

わたしがこうやって発信しているのは、こういう人もいるのよ、ってことが誰かの目について、あーこういう人もいるのね、じゃあわたしはこうしよう、って背中を押すきっかけになればいいなと思っているからです。完全に人任せですけど。わたしは文章を書くのが好きでこのネットの海に言葉を流しているだけです。誰か見つけてくれれば、そして何かしらのきっかけになったら、ラッキーみたいな感じです。今は。

 

決して働くのが嫌いなわけではありません。普通です。好きでもないけど嫌いでもない。それとわたしにはやりたいことがあるのでそれに向けて働く、というのは大きな意味を持っています。たぶんわたしの中では生きていくためのもの=仕事っていうのが大きかったんです。生きていくためのもの=仕事=好きなことにかかわっているという方向に今少しずつ変わってきていて、だからフリーターでも満足しているんですね。将来はカフェを出したいという夢も出来ましたし。それに向かって着々と進んでいます。友人に話すとわたしもやりたい!って言ってくれる人や、応援するよと言ってくれる人が多いのでうれしいものです。カフェで美味しいパンとコーヒーを食べて飲みながら笑顔で談笑する、何もしなくてもそこにいていいし、かと思えばワークショップが開かれていたり、そんな不思議な居心地の良い場所を作りたいです。

 

 

ただのわたしの独り言です。

 

以上。

 

本日も読んでくださりありがとうございました。